この季節、気になるのが光の白さ。立春を過ぎてもまだまだ肌寒く、上着の襟を立てて歩いていますが、陽光の煌めきを、梅の花に、椿の葉に、またその上に積もる雪などに感じます。早春の白い光にどうしてこんな心躍るのかわかりませんが、その気分を表したくて、茶箱にも白い道具をたくさん詰め込みます。
宝石のように美しい手仕事で仕上がる和紙
今回お訪ねしたのは、唐紙工房の「かみ添(かみそえ)」さん。
「かみ添」製の便箋。胡粉を塗った和紙にさらに「きら」で文様が摺(す)られる。唐紙とは、もともとは唐の国(中国)から伝わった紙のことを指したそうですが、現在では和紙に胡粉(貝の粉)や、きら(雲母の粉)で文様を摺り出した紙のことをいいます。
胡粉・きら、いずれも白い顔料ですが、「胡粉は光を吸収してマットな白に、きらは光を反射して輝きます」と、かみ添の主人・嘉戸 浩(かど・こう)さん。白い紙の上に、白い胡粉を塗り、版木を用いて白いきらの文様を摺っていきます。あるいはきらを塗ってから、胡粉で文様を摺る。陰と陽、白い光を扱う技。清らかな祈りのようにも思える仕事です。
工房1階にある「かみ添」のショップ。封筒や便箋、ポチ袋など唐紙の作品が展示されている。
嘉戸さんは、京都の美術大学でプロダクトデザインを専攻。卒業後はサンフランシスコの大学でさらにグラフィックデザインを学び、その後はニューヨークでデザイナーとして活躍されていたという経歴の持ち主。
帰国後、京都の唐紙の老舗工房に入り修業。2009年に独立し、ショップ兼工房の「かみ添」を、職人の街西陣でオープンしました。版木を用いて手摺りで紙に加飾をしてゆく仕事は、印刷というものがほとんどデジタル化した現在の感覚からすれば、一枚一枚が宝石のように貴重な手仕事です。
さまざまな文様の版木を用いて日本家屋に欠かせない襖紙や壁紙を製作する一方で、便箋や封筒、ポチ袋など小さな作品を一般向けに販売しています。わたしはオープン間もない「かみ添」のカードを知人からもらい、日本の古典技法を用いながらもモダンなデザインに心を惹かれて、時折店をのぞくようになりました。
いつも同じエプロンをして出ていらっしゃる嘉戸さんに「一服どうぞ」。嘉戸さんと茶箱を作りたい!
わたしが主催する
水円舎でオリジナル茶箱の制作を始めたとき、ベースの箱は地元“メイドイン京都”にこだわりたいと考えました。
京都はものつくりの街で、さまざまな伝統の手仕事があります。近所の指物師の方に無垢の桐茶箱を作っていただいたのをスタートに、その箱に自分らしい好みで装飾を加えたいと考えたときに、まず友人の大和絵師の顔が浮かびました。
大和絵技法を用いた金彩や極彩色の御所風の箱を作ってもらおう。そして、もう一つくらい何かやりたいな。それなら白だけの世界はどうだろう、たとえば唐紙の技法で何かできないだろうか。
そんな思いから5年前の2016年秋の昼下がり、突然わたしは「かみ添」を訪ねたのです。
時折、わたしはものすごく突然に物事に立ち向かう癖があるのですが、それはそのモノ・コト・ヒトに共鳴の確信のようなものがあるとき。「かみ添」さんの作品を見たときにもその感覚があり、ともかく話を聞いてもらおうと、押し掛けたのでした。
そして、初対面の嘉戸さんに「今、茶の湯で用いる茶箱を制作していて、そこに唐紙技法の装飾をお願いしたいと思っているのです」と、切り出しました。話をひとしきり聞いた嘉戸さんは「面白そうですね、やってみましょう」と即答。
さらに少し会話を交わし、夕刻に再度お訪ねしてベースとなる桐茶箱を届けることになりました。嘉戸さんが「お近くですか?」とお尋ねになり、ここでようやくわたしは、まだ自分が肩書も名刺も持っていないことに気づき、数か月前まで勤めていた出版社の話や、これまでの経歴などを伝えたのです。
嘉戸さんはにこりともせずまっすぐな眼で、「そうだったんですか。でも、僕はそんなことを聞かなくても、やろうと思っていましたよ」と淡々と答えてくださったのでした。
早春の光に呼応する“メイドイン京都”の茶箱
そうしてでき上がった茶箱は、清らかで静謐な佇まいに満ちたものでした。いくつかの装飾を試み、2人で意匠を相談しながら作り上げたものもありますが、「いかようにも、お好きにして下さい」と嘉戸さんに託した作品もあり、その一つが今回の箱。
無垢の桐箱の天面に、唐紙技法で加飾したオリジナルの茶箱。天板全体に胡粉を塗り、そこにきらで直線の文様を描いてあります。唐紙という日本の伝統技を用いているのにどこかエキゾチック。古代の壁画のようにも見え、それでいてモダンでもあるという、誠に不思議なバランスの作品です。
この茶箱はやはり今の季節の光と呼応するような気がして、中にも白い道具を重ねて組んだ次第。メイドイン京都の箱に、全国の好きな作家さんたちの作品を詰め込みます。
白くて無垢な箱に合わせて、白い道具たちを組む。秋田の田村一さんの白磁茶碗と、京都の福本双紅さんの白磁の茶器と茶巾筒。千葉の清水真由美さんの淡色練込菓子器をアクセントに。いずれも作品に惹かれて、茶箱の大きさに合わせて道具を作っていただいた方々です。3人の光が射すような作品に、さらに愛知の久野輝幸さんの茶杓と小皿、京都の近藤太一さんの茶筅筒などの木地物を加えました。
「お茶をしていてよかった」と心から思うとき
店の奥にある客間の床に、インド更紗の布を敷いて即興の点前座を整えました。そういえば更紗も木型から文様を染める工芸、唐紙と繋がっていると後で気づく偶然の連鎖。
ショップの一角にしつらえた即興の「茶の間」でお茶を喫する嘉戸さん。嘉戸さんにお茶を差し上げるのは今回が初めてでした。
「お茶はなさいますか?」
「いいえ。ただ、母がやっていました」
などと、今までお茶に関する話を交わしたことがなかったことに、そのとき気づきました。
点々と白い道具を配した点前座。薄茶を一服差し上げて、それからお湯を一服。茶箱あそびをしているとき、わたしは茶を差し上げた後は、お湯をすすめます。それは、抹茶の後の白湯がおいしいと、常々感じているからです。
嘉戸さんは「(お茶よりも)お湯のほうが好きかもしれません」と言いながら、白い茶碗を手に包んでゆっくりと一服。
今日の菓子は軽い干菓子を持参。日本の古典的な文様を型押しした和三盆で、和紙で一つずつ丁寧に包装が施されています。ほかに何も加えず和三盆糖だけを固めたシンプルな白い干菓子が、今回のお茶にふさわしい気がしました。
花の文様をモチーフにした塩芳軒の干菓子「百とせ」。嘉戸さんが5年前に作ってくださった唐紙の箱を中心に、道具を決め、菓子を選び、ようやくお茶を差し上げることができた日。白い紙があちらこちらでキラキラと光る工房の中でのひととき。
わたしがお茶をしていなかったら、嘉戸さんが唐紙を作っていらっしゃらなかったら、こんな時間は訪れなかったでしょう。お茶というコトが、モノやヒトとを繋いでくれる。こんなとき、お茶をしていて本当によかったと思うのです。