材や建具を生かして“蔵の美術館”の面影を宿す
展示室を抜けた先の「ギャラリー」には、蔵の窓が。1954年に開館した藤田美術館は、“蔵の美術館”の愛称で親しまれてきました。ゆえんとなる蔵は、明治時代に建てられた、日本最初期の鉄筋コンクリート製。大阪大空襲で藤田家本邸も被害を受けましたが、3棟の蔵だけが焼け残り、のちに美術館で展示されることとなる藤田家のコレクションを守り抜きました。その蔵の1棟が展示室として利用されたのです。
土間の踏み石は、旧美術館のものと、ほかの場所で使われていたものをあわせて再利用。新しい美術館では、蔵に使われていた材や建具が再利用され、当時の面影を見出すことができます。
「設計の検討段階では、蔵を残して改修し、新しい建屋で囲ってはどうかという案もありましたが、電源すらなかった蔵に空調などの新たな設備を入れるとすれば、それは元の蔵ではなく、形だけのものとなってしまうのではないか。それよりも、かつての蔵の美術館の“空気感”こそを継承したいと考えました」と藤田館長。
展示室前室。床は、かつての収蔵庫の棚板を再利用。ほの暗い前室で心を整え、展示スペースに至るという順路。土間には、蔵の梁を使ったベンチが置かれている。設計と施工は、大成建設が担当。美術館の礎を築いた藤田傳三郎と、大倉組の大倉喜八郎、新一万円札に肖像画が使われることでも話題の渋沢栄一が、日本初の土木建築会社として設立した「日本土木会社」をルーツとする大成建設だけに思い入れも強く、前例のない施工法なども粘り強く検討し、チャレンジしたといいます。
展示室の大壁やカウンターキッチンをはじめ、広間の床の間、展示室の前室など、要所要所の壁は左官職人の久住有生さんが手がけました。
かつての蔵。蔵の扉には藤と三つ葉の紋章が。 Information
藤田美術館
大阪市都島区網島町10-32
藤田美術館一部公開
美術館竣工にともない、「土間」のスペースが2021年4月より先行公開されます。お茶とお菓子などをお楽しみいただけるほか、各種イベントも開催予定。詳細は順次、公式サイトにて発表されます。 ※変更の可能性もあるので必ずHPをご確認ください。
〔特集〕藤田美術館の新たな船出 新美術館で名品と遊ぶ
撮影/小野祐次 構成・文/安藤菜穂子
『家庭画報』2021年3月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。