さてここまで頑張って読んでくださった皆さんは、きっと虫めづる姫君まではいかなくとも虫平気姫くらいにはなったと信じたい。
さあ、お待ちかね、実は飼っていて一番面白い昆虫はゴキブリである。
といっても飼うのはあの足早で不潔な日本のゴキブリではない。ペットとして出回っている海外産の高級ゴキブリである。
ゴキブリは高度な社会性を持ち、どの昆虫よりも頭が良い。私は昔から外食オンリーなのだが行く先々の全ての店で必ずゴキブリと遭遇してしまう。というより奴らは私に寄ってくる。私が決して生き物を殺さないことを確信しているのだ。
そればかりかテーブルの下から「アニキ、ちょっとそれ分けてもらえませんか」と言いながら触角を動かす。実はネズミたちも同様で店のビールケースの隙間からこちらに合図を送ってくる。「大将、ちょっとそれ投げてもらえませんか」。生き物たちの味方をやっているといろいろとつらい時もある。
皆さんは台所にゴキブリが出た時にどう対処しているだろうか。駆除のため、見つける度にいちいち退治するのは逆効果だ。何も知らないゴキ家族たちが次々と出てくるのできりがない。彼らと決別する一番良い方法はこうだ。
素早く優しく手で捕獲し、ゴキの目をしっかりと見つめながら、「ダメだろ、出てくるな」と揺さぶり叱りつけた後に解放するのである。怖い思いをしたゴキは一目散に巣に帰って、仲間たちに「この家は危険だ、引っ越そう」と伝える。少しハードルが高いかもしれないがやってみる価値はある。
このように社会性のあるゴキだが、飼って面白いのは海外産のゴキブリで、おすすめのひとつにヨロイモグラゴキブリがある。オーストラリア産の世界最大級のゴキだ。大きなものは携帯電話くらいにまで育つこの種は、ユーカリの落ち葉を食べて土に戻す、自然界の重要な分解者だ。土中に数メートルにも及ぶトンネルを掘り、枯れ葉の貯蔵庫や寝室などのあるマイホームでオス・メスが仲良く暮らす。10年生きるので末長い付き合いができるのはよいのだが、これを飼うにはプンクタータという特定のユーカリの葉が必要で、100グラム1000円とステーキ肉よりも高いのが難点だ。
マダガスカル産のヒッシングコックローチはヨロイモグラゴキブリにせまる巨体を持ち、腹の呼吸器を収縮させて、その名の通り「シュッ」という音を出す。これは昆虫の中ではかなり珍しい発音方法である。この音は敵に対する威嚇や個体間のコミュニケーションに使われる。オスの背中には一対のコブがあり、オス同士の順位争いの際にこれを突き合わせて押し合う。勝ったオスは「シュシュー」と勝ちどきをあげ、負けたほうは小さく「シュ」と短く鳴く。
観察すればするほど彼らの社会は面白い。
親たちが子供たちの身体を舐めて清潔にしたり、枯葉の分解に必要なバクテリアを口移しで分け合ったり、何だかよくわからないが、皆で触角を寄せ合って会議のようなことをしていたりもする。
共食いも傷つけ合う争いもなく、皆で仲良くゆったりと暮らすこの堂々としたゴキブリは人間よりも人間的に見える時がある。現代の人類はゴキブリたちの社会を見習うべきである。さあ、みんなで素晴らしい昆虫の世界にレッツ脱皮。
野村潤一郎(のむら・じゅんいちろう)
野村獣医科Vセンター院長。東京・中野にある、動物にとっても人にとっても快適な病院は、すべてがオープン。最新医療機器に囲まれた中で行われる手術はガラス越しに見ることができる。手術の腕を頼ってどこの病院からも見捨てられた難病患者が多数訪れ、病院は小さな命の最後の砦として機能している。
『家庭画報』2021年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。