「“頑張る”という言葉は、あまりきれいじゃないでしょう? 頑張ることで性格が悪くなるなら、やめたほうがいいわよ」── 村岡みどり
元来、おおらかだった母は、私や姉に対しても「英語はできるようにならなきゃ」とか、「おばあちゃまの本は読まないとだめよ」といったプレッシャーを一切与えず、自由にのびのび育ててくれました。私が学校でよろしくない成績をとったときも、笑っていた記憶がありますね(笑)。
母の優しさでもう一つ思い出すのは、私や姉が興味を持ったことを制するのではなく、応援してくれたことです。例えば、私が歌舞伎やきものに興味を持つと、父に内緒できものをこっそり仕立ててくれたりして。そこには、母自身も歌舞伎やきものが好きだということと、母が若い頃は戦争直後で好きなきものが自由に着られなかったので、せめて子どもには、という思いがあったのだろうと思います。
母が亡くなった後、しつけ糸がついたままのきものがたくさん出てきました。それを見て、自分が着飾って出かけることを後回しにして、私や姉に着せて喜んでいたのだなと改めて思いました。そうすることで幸せを感じる人だったのかなと……。そう思うと、涙が止まりませんでした。私は、母を通して、優しさほどの強さはないことを知りました。
私たちのことを見守ってくれる母の包容力を、生前は当たり前に感じていましたが、喪(うしな)ってからはそのありがたさがよくわかります。母は、私がどんな失敗をしても、それでいいのよと背中を押してくれる存在でした。そんな母をもり立ててあげるのはこれからだったのに、気づいたときにはもういない。その寂しさ、ごめんねという気持ちが心にあるので、今も母を想うと胸の奥がキュンとなります。
幼い頃の恵理さんが祖母・花子さんと一緒に写った大切な一枚。花子さんは、恵理さんがまだ小さい頃に逝去したため記憶にはないが、遺された本や原稿を通してその存在を感じていたという。今も心の中で繰り返す時を経てわかった母の言葉の意味
思えば、母は自宅でお茶を飲みながらいろんな話をしてくれました。その中で、最近になってようやく意味が理解できた言葉があります。
それは、ある悔しいことがあって母に愚痴をこぼしたときにいわれた言葉。「あなたが頑張るのはいいけれど、それによって性格が悪くなるなら、やめたほうがいいわよ」というものです。
聞いたときは、頑張ることと性格が悪くなることのつながりが理解できなかったのですが、最近、こういうことだったのかと合点がいきました。母はきっと、頑張って何かをやり遂げたことで傲慢さや変な自信がついたり、人を見下してしまうようになるのは、もったいないといいたかったのだと思います。
加えて「頑張るという言葉も、あまりきれいじゃないでしょう?」ともいっていました。確かに「頑張る」の語源は「我を張る」です。もちろん、人生には頑張り時というものがありますが、年齢とともに経験を積めば、それが自然な貫禄につながるので、頑張って身につけようとしなくてもいいのかもしれません。最近それを実感して、母の言葉を心の中で繰り返しています。