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作家・村岡恵理さんが語る、母・村岡みどりさん。美しく愛おしい「母の肖像」

2021.04.26

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大切な人の肖像は時間をかけてつくられるもの


最初にお話しした『アンのゆりかご』は、母から聞いた話と、母があちこちに書き残した原稿を参考にして書き上げたものです。

その作業はたやすいものではなく、祖母の周囲にいた人たちの顔を思い浮かべて、手が止まってしまうこともしょっちゅうでした。私以上に関係の近い母が書けなかったのも、よくわかります。それでも何とか書き上げることができたのは、さまざまなサポートをしてくれた姉と、やはり母のおかげです。

『アンのゆりかご』と『赤毛のアン』


左・『アンのゆりかご』の英訳版『Anne's Cradle』(翻訳Cathy Hirano)が5月31日発売予定。右・1952年、三笠書房より初めて刊行された『赤毛のアン』は、戦後を生きる女性たちに夢を与え、たちまちベストセラーに。以後のシリーズも熱狂的な支持を得た。

母は祖母が亡くなった後も、祖母が使っていた書斎を生前のままにしていました。書斎の中には『赤毛のアン』の原書や祖母と親交の深かった歌人・柳原白蓮さんからのお手紙なども置かれていて、まるでその日の朝まで祖母が仕事をしていたような状態。

よくあんな時が止まったかのような場所で暮らせたものだと思いますが、きっと母は、祖母の気配を消したくなかったのでしょうね。家の中で、母はよく私に白蓮さんの駆け落ち話などを話しては、「当時の白蓮さんからのお手紙、絶対どこかにあるわよ。捨ててないから」といっていました。

その言葉に興味を引かれ、「読みたい」というと、そこから書斎の中の捜索が始まることもしばしば(笑)。そんなふうに、祖母は遠い過去の記憶ではなく、日常の中にいたことが、歴史を紐解くうえでよかったのだと思います。

花子さんの書斎での家族写真

1991年7月、花子さんの書斎にて。『赤毛のアン』の舞台であるカナダ、プリンス・エドワード島から、ウェイン・チェヴェリー大臣ご夫妻の公式訪問を受けたときの一枚。右端がみどりさん、その隣が恵理さん、ご夫妻の間にいるのが姉の美枝さん。アンシリーズを通じた同島州政府との交流は今も続く。

本を書くことで私は、母の少女時代を追体験できました。自分のルーツを辿ることは、早くに母を亡くした自分の慰めでもあったのです。誰にでも母という存在があり、その母が生きてきた時代があります。

母親の歴史を調べると、本当の母の姿、肖像というものができてくると思います。私自身、かつては目の前にいる母しか知りませんでした。でも今は、祖母の時代から母の生涯を知っているので、母の人生すべてが愛おしく、美しいと思います。
取材・文/冨部志保子 撮影/本誌・西山 航

『家庭画報』2021年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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