「辞書にはない愛以上の言葉」で自分の気持ちを伝えたい
たとえおなかを痛めて産んだ子どもじゃなくても、愛をもらっていると、親子は似てくるものです。本当に、母は私に惜しみない愛を与えてくれ、私たちは周囲の人たちの愛によって生かされてきました。愛以上のことばを探して自分の気持ちを伝えたいと思う存在。それが私にとっての母なんです。
母にとって、私は何歳になっても彼女が引き取ったときのサへルちゃんのままです。ずっと忙しくて親らしいことをできなかったと思っている母は、育てることがとても好きな人で “サへルに結婚はしてほしくないけれど、赤ちゃんは産んでほしいな” なんていっています(笑)。
「一輪のバラのように、強く凜と生きてほしい」── フローラ・ジャスミン
母に何か少しでも返すことができればと思い、10年ほど前に彼女の昔からの夢だった庭づくりを始めました。最初は自宅のバルコニーでバラのアーチをつくり、50種類くらいまで増えたところで、近所のかたに“家の近くの場所をぜひ使ってください”と、声をかけていただき、そこに移植して6年。今、バラの種類は130を超えました。私は仕事があるのでなかなか手伝えませんが、母は小柄な体で一生懸命、消毒や剪定をしています。
娘にローズという名前をつけたように、大の花好きのフローラさんの、いつか庭づくりをという念願を叶えるため、ふたりで手がけたバラ園。家のバルコニーで始めたバラ園を、近所の空き地に場所を移して6年。開放されているサヘル・ガーデンのバラの種類は130を超えている。私にローズという名を与えてくれた母にとって、ここにはたくさんのローズ=母にとっての娘、私にとっての姉妹がいます。同時に母は、自分がいなくなったとき、私がここで母との思い出を感じられるように、形見をつくっているのかもしれません。
母ががんになって、一生この人といられない事実を前に、自立しなければと考えたとき、母としていた約束を叶えようと思い、イラク、ヨルダンを旅しました。“国境の向こうにもあなたと同じような状況の子どもたちがいる。イラクの現状を見ておけば、人を国籍や人種の違いで見なくなるから”。母はそういいました。
イラン人がイラクに行くことには不安もありましたが、実際、会った彼らは温かく、そこで見る空も、夕日も変わりはありませんでした。イラン・イラク戦争時に戦った元兵士のかたは、私がその頃に生まれたと伝えると“申し訳ない、戦わなければ自分の家族が殺されていたから”と、涙を流していいました。国のために戦っても、国は何もしてくれません。今も少数民族の娘は性的奴隷にされ、息子は銃殺される。人間って何なんだろうと思います。
日本のかたは私の経験を聞いて、大変だったねといってくださるけれど、愛のある人に育てられ、たくさんの人に救われた私は幸せだと思います。母は私に“次に生まれてくるときは、私のおなかから出てきてね”といいました。“お母さんはサへルのオムツも替えていなければ、おっぱいもあげていないし、赤ちゃんのときのサへルも見ていない。だから、次はそういうことをしてあげたい”と。本当に、母は私に限りない愛を与えてくれたのです。
取材・文/塚田恭子 撮影/本誌・西山 航
『家庭画報』2021年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。