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前回まで)縁あって巡りあった広大な農地は、40年以上放置され、びっしりと竹薮に覆われていました。今森さんの農家の先生・西村さんの「はしから切っていこか」という一言から、竹薮との手作業での伐採が始まったのです。
今森光彦 環境農家への道 第4回
延々と続く竹切り合戦
(文/今森光彦)
最初は、私の家族や西村さんらと切りだしたが、とても手に負える相手ではないとわかって、西村さん率いる“守り人の会”のメンバーに協力をしてもらうことになった。
“守り人の会”は、仰木地区の田んぼの世話の手伝いをしてくれる里山のレスキュー隊のような存在。会員は、会社員、公務員、自営業、定年退職をした人など、豊かな顔ぶれからなる。最近は、地域に多大な貢献をする会として一目置かれている。
とにかく色々な人の手を借りて、私は時間の許すかぎり竹を切った。竹切りは、短刃のノコギリを使うが、気持よく切れるので頑張りすぎるのがよくない。何日も連続すると、上腕が炎症をおこし腱鞘炎にかかってしまう。それと、夏場は、風通しが悪くおまけに蚊が多い。
以前、アグリアスと呼ばれる珍蝶を求めて、アマゾン川上流のジャングルに分け入ったことがあるが、吹きだす汗の不快感がそのときにそっくりだ。
農地への挨拶は、竹切りから始ま った。汗だくになって敷地内に密生するマダケを伐採する。切っても切っても前に進まない苦悩の日々。倒れた後の竹の処理もばかにならない。もったいない話だが、細かく切断するか、まとめて燃やしてしまうしかない。半年ほどたって、竹林の隙間から、ようやく向こうの景色が透けて見えてきたときには、ほんとうに嬉しかった。風が通りはじめると大地が生き返る。向かって左が西村さん、右が私。こちらの記事もおすすめです【特設WEBギャラリー】今森光彦さん、美しき切り絵の世界