アーネスト・サトウさんの書斎のイメージを再現した俵屋の図書室。額の写真がアーネストさんが撮影したバーンスタイン。その下にあるのが作品集。佐藤 バーンスタインはマントの内側が真っ赤で、舞台に出てくる彼がマントをパッと広げると派手でしたよね。
佐渡 カラヤンが自分の腕の中に理想のオーケストラがいるように目をつぶって指揮するのとは逆で、バーンスタインは最初から目の前のオーケストラが自分の理想なんです。練習もすごく和やかで、ジョークを言いながら音楽をつくっていく。音楽へのアプローチの仕方が人間臭いんですよね。
佐藤 俵屋の2階の息子の部屋にあったピアノで練習されたことがあって、下まで音が聞こえるんですね。お泊まりになったお客さまたちが「すごい音ですねえ」と階段の下に集まられて、終わられた時には拍手喝采でした。誰かが聴いていると、最後まで弾いてやろうというサービス精神があって。人がお好きだったんですね。
佐渡 バーンスタインらしい素晴らしいエピソードですね。
佐藤 夫が病気で大阪まで音楽会に行けそうもないことがあったんです。そうしたらバーンスタインさんが「わかった。自動車で迎えに行くよ」って。冗談だと思っていたら、すごいリムジンが迎えに来ましてね。これは行かないわけにはいかないと2人でそれに乗って行きました。親切の仕方が日本人とはまた違うのですが、心のとても熱いかたでした。
バーンスタインがたびたび泊まった俵屋旅館で、バーンスタインが過ごした時間と空間に思いを馳せる佐渡さん。佐渡 指揮の専門のコースも出ていない僕が、タングルウッドという教育音楽祭に参加して人生が180度変わったんです。そこで出会ったのが小澤先生とバーンスタインでした。その2人が、まったく指揮がわかっていない僕に全力で教えようとした。そういう意味では、最初に僕にいい評価を与えてくれたのはこの2人だと思うんです。
指揮者の小澤征爾さんと。小澤さんは若き佐渡さんの中に、まだ粗削りではあるが大きな可能性があることを見出した。バーンスタインがベートーヴェンを練習していた時、翌日本番を控えているのにアシスタントの僕に書き込みのいっぱい入った楽譜を貸してくれたんです。「そこに書き込んであることを全部写してから帰れ」と。
自らの知識をオープンにして、すべてのことを伝えようとしてくれた。今還暦になって自分にその役回りが来たと感じます。次の世代に何を残していくのか。音楽だけでなく生き方も含めてですね。