生の舞台の魅力と、コロナ禍ならではの観客との一体感
感性が柔軟かつ鋭いお二人。国際コンクールでオーボエとクラリネットが入れ替わる間違い探しを当てた、さすがの佐渡さん。大竹さんもミュージカルで、ある日ティンパニ奏者が交代したことに瞬時に気づいたそう。佐渡 昨年(2020年)、舞台『女の一生』『フェードル』を続けて観に行きました。映画やドラマのしのぶさんは見てきましたが、お客さんがいる前でのお芝居で、こんなにも人を惹きつける強烈な存在感、そしてあれだけ長く大量の台詞を観客の前で発する集中力の高さに驚かされました。
大竹 指揮者もあの楽譜をすべて覚えて、音を正確に捉えるのはすごいです。
佐渡 我々はCD録音もしますけれど、やっぱりライブなんですよね。クラシック音楽は落語みたいなもので、話はあるし、枠もある。その中で一回一回違うものをやっていくわけです。コロナ禍での表現方法の一つとしてネット配信にも助けられましたが、感染予防対策をしながら少しずつお客さまを入れられるようになったときには、目の前の空気が振動しているのを共感していただくことがやはり大事だと感じました。
大竹 生の空気は劇場でしか味わえないですよね。今回このような状況の中でも来てくださるお客さまが「やってきましたよ、あなたの芝居を観にきましたよ!」という覚悟の上で座っていらっしゃるのを舞台に出た瞬間に感じて、「わかってます、応えますね!」というエネルギーの交換があったんです。カーテンコールでは「本当に観てよかった」という拍手をいただいて。
佐渡 僕はお芝居にも感動しましたが、カーテンコールのしのぶさんの姿はそれを超えるんですよね。この舞台に立っているというしのぶさんの喜びが、全身から溢れているんです。
大竹 今日もできました!、生きてたね、私たち!、お芝居をやれたの!──毎日毎日その喜びです。
佐渡 人と人が一緒にその空間で過ごすこと──つまり人と人の絆を失わないように音楽や芝居がある。これほどコロナが続くとは予測していませんでしたが、ますます必要な気がします。
大竹 今必要な職業を3つ選びなさいと言われたら、演劇も音楽も入らないと思います。でも絶対になくならないものという自信はあります。
指揮者も役者も、俯瞰で自分を見ている自分がいる
佐渡 ところで、しのぶさんはどのような心境で舞台に立たれていますか? 音楽の場合はこう流れていくという設計図みたいなものがあるのですが、僕はどこかで冷静なんです。究極のことをいえば、自分の姿をオケの上から見ている自分がいる。音楽の中に入ってすごく感動しているけれど、遠くから見て次どうしようかなと考えている。そういう本番は全く疲れません。
大竹 私も、遠くから自分を見ているもう一人の自分がいます。逆にそこを目指そうと思っても行けるものではないから、いつもニュートラルな状態で幕が開くのを待っています。ただ、幕が開いたらもう楽しくてしょうがない! どこに行くかわからない。辿る道や到達点は同じだとしても、今日は何が起こるだろうか、という感じです。お客さまによっても変わりますね。
佐渡 それはクラシック音楽の演奏会でもあります。お客さんの反応も毎回違いますし、またお互いの熱量が反応し合う感じもあります。さらに、その熱量もどんどん回っていきます。僕からオケ、オケからお客さん、お客さんから僕、僕の背中からまたお客さん、というのがぐるぐる回り出すと面白いんですよ!『セヴィリアの理髪師』を上演したときは、最後は3拍子でハッピーに終わるんですが、そのハッピーな感じが客席まで伝わったのか、ずっとお客さんが手拍子をしてくれていました(笑)。
大竹 素敵! 嬉しくなっちゃいますね。井上ひさしさんのお芝居を地方で上演したとき、おじいちゃまが立ち上がって深ーくお辞儀をしてくださって。こちらこそ観てくださってありがたいという気持ちでした。
佐渡 それは嬉しいですよね。共演者とのご関係はいかがですか? 動きは決められているのでしょうか。
大竹 演出家によって違いますが、私の場合は割と自由にさせてくれることが多いですね。チームとしては主役が引っ張っていくより、皆が同じ意識を持っているほうが良いお芝居ができます。言い合える仲になるのが大事。だから信頼し合える仲間になるための稽古期間がとれるほど、良いものになっていく感じがしますね。それには良い台本があってこそですが。
佐渡 なるほど。音楽だとたとえば反田恭平くんのような共演者がいる場合、こちらが仕掛けたことをすぐキャッチしてすぐ返してくれます。ほんの20秒くらいのことですが、そこにスリル感や深みがあるんですね。彼や辻井伸行くんなど素晴らしいソリストとの共演の面白さは、数日間の共演中に彼らがどんどん進化していくこと。中学生のロックバンドを一緒にやっているようなワクワク感がありますね。