鎌倉の源氏山は未舗装路が続く急勾配の山道だったが、目のパッチリした中学生が遊歩道の草むらにうずくまってヤマガラの録音なんかをしていれば、中年女性ハイカーたちの興味を引いてしまうのは当然のことだった。
「あらー、ぼく可愛いわね。何してるの」
「鳥の録音です」
「あー、そー、ふーん、鳥の録音してるのー、ふーん、ねえ、鳥の録音だってさ」
「ふーん、鳥の録音ねー、ふーん」
「鳥の声、録って聞くの、ふーん」
「ふーん」が多いのは理解不能なことを脳内で整理するためだろうか。
「ペチャクチャペチャクチャ……」
テープは回り続けている。既に鳥は逃げてしまってもういない。できあがったのは「ふーん」が記録されたカセットテープだった。
自然相手の一発勝負である生録音において、チャンスを逃してしまうこんなことが多々あったので、私は観光地を避けるようになった。
50年前の大井ふ頭は手つかずの湿地帯で、数多くのシギやチドリなどの水鳥が飛来した。現在のようにバードウォッチングは一般的ではなかったし、大昔から放置されたじめじめした場所だったので人の姿は全くなかった。
遠くにいる鳥の声を録音するには機材に工夫が必要だ。通常はパラボラ集音器というお椀のような器具にマイクロフォンを取り付ける。放物線状の面に音を反射させて音波を増幅する仕掛けで、カメラで言うと望遠レンズのようなものと理解していただくとよい。
しかし、このような高級品は中学生では買えないので、ビニール傘をひっくり返して代用することにした。これは当時の放送局でも普通に行われていた裏技で何よりも携帯性に優れていた。効果のほどは中々で、時々入り込んでしまう飛行機の音を除けば結果は上々だった。
「ピュィーピュィー」
シギたちの肉声がヘッドフォンで確認できる。森の野鳥たちのような美しい声とは言えないが、渡り鳥たちの貴重な音源を自分の手で記録する満足感は格別だった。憧れの比較行動学の創始者コンラート・ローレンツ博士や、海洋調査船カリプソ号で世界の海を駆け巡るクストー隊長に少しだけ近づけた気分だった。しかしここでも思わぬ邪魔が入る。
「オメー傘なんか広げて何やってんだ、オラー」
振り向くと髭がボーボーのやせ細った男性が仁王立ちしていた。この荒れ地の住人がテリトリーを荒らされたと思って威嚇してきたのである。這(ほ)う這(ほ)うの体で逃げ帰り、「遅くまで何処にいた」と怒る母親にこのことを告げたところ「馬鹿だねお前は、そんな危ないところにはもう行かないでおくれよ」と叱られた。
とは言うものの、私の野鳥録音の熱は冷めることはなく、その後もどんどんエスカレートし、暗い明け方に家を抜け出しては始発電車に乗り、御岳山、檜原村、箱根、富士山麓などに足をのばすことになる。