「2つの挑戦を追うストーリー仕立ての展覧会です。ひとつは、20代から活躍していた葛飾北斎が、70代でそれまでに培った画力のすべてを注いだ《冨嶽三十六景》シリーズへの挑戦。もう一つは、一介の絵師にすぎなかった30代後半の歌川広重が、その《冨嶽三十六景》を超えようと始めた《東海道五拾三次之内》シリーズへの挑戦です」と語るのは、東京都江戸東京博物館学芸員の小山周子さん。
すべて館蔵品で構成し、《冨嶽三十六景》は全46点が一挙公開される。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》1831~33(天保2~4)年頃 東京都江戸東京博物館蔵富士山を描くことは、江戸の町から富士山がよく見えた時代には自然なことであったと同時に、富士山信仰の象徴でもあった。
《冨嶽三十六景》はさまざまな角度から見える富士36図が人気となり、さらに10図が追加された。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 尾州不二見原》1831~33(天保2~4)年頃 東京都江戸東京博物館蔵「次はどう描くのか、人々の期待も高まったでしょう。北斎は、夏の早朝の快晴を描いた《凱風快晴》と同じ山のシルエットで、にわか雨の《山下白雨》を描いて天候による富士の違いを表現しています。また、《尾州不二見原》では、桶職人の桶の向こうに富士が小さく見えますが、幾何学的な構図にも挑んでいるのです」。
歌川広重《東海道五拾三次之内 原 朝之冨士》1834~36(天保5~7)年頃 東京都江戸東京博物館蔵一方、《冨嶽三十六景》が出版を終えた翌年に、広重の《東海道五拾三次之内》が出版される。
「旅情を誘い、大ヒットとなりました。《朝之冨士》では、鳥の声に振り向いて朝焼けの富士に見とれる動きを表現している。枠を飛び出した富士山には、新しい風景画を描こうとした気概を感じます」。
個性の違いと旅気分を味わいたい。
表示価格はすべて税込みです。
取材・構成・文/白坂由里
『家庭画報』2021年6月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。