〔連載〕京都のいろ 京都では1年を通してさまざまな行事が行われ、街のいたるところで四季折々の風物詩に出合えます。これらの美しい「日本の色」は、京都、ひいては日本の文化に欠かせないものです。京都に生まれ育ち、染織を行う吉岡更紗さんが、“色”を通して京都の四季の暮らしを見つめます。
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刻一刻と変化する清らかな緑
文・吉岡更紗京都は、例年より早く5月下旬に梅雨入りとなりました。工房の庭は、屋根がないところが多いので、雨の時には急いで横切ることが多いのですが、たまに晴れ間があると植えられた木々の様子をゆっくりと見るようにしています。工房に植えられた柘榴や胡桃、黄檗(きはだ)の木は、新緑の可憐な美しい色からより色濃くなった葉に雨が残り、その滴るような美しいさまに目がとまります。また、同じく工房内にある小さい梅の木も、葉を大きく広げ美しい緑をたたえていますが、すでに実がたわわになっていて、今年は梅酒を漬けるか、黄色くなるのを待って梅干しにするか……と、仕事の合間に悩む日々を送っています。
写真/紫紅社この湿度の高い過ごしにくい季節には、竹林の近くを歩くと、爽やかな風が吹き抜けて、とても心地がよいものです。風にそよぐ枝や若葉の音も涼やかに感じられます。古株の竹は茶色く枯れた葉を落としていきますが、春に土の中から出た竹は、筍と呼ばれる時期を過ぎると、暖かい太陽の光を浴びながら、一枚一枚茶色の竹の皮を剥がしながら、みるみるうちに空に向かって真っすぐに伸びていきます。
写真/紫紅社その様子から、竹は古から、榊と共に清浄な植物として扱われていました。祭礼などでも注連縄(しめなわ)をまわした状態で四隅に建てられ、不浄なものが入ってこないように防ぐ役割も果たしています。
一旬(いちじゅん・十日)で、竹になるといわれるほど成長が早く、筍の色は、あっという間に大きく変化します。わずかに紫がかった焦茶色の皮が剥がれたところから、澄み切った緑、「若竹色」が見えるようになります。また、瑞々しいその若竹色から、わずか2、3日で、竹は色を濃くし、それは「青竹色」と名づけられています。さらに歳月と共にいっそう濃くなると、次は「老竹色(おいたけいろ)」と呼ばれるようになるのです。一年を通して変化しながらも青々とした美しい緑を保っている竹は、松などと共に、大切にされてきたことがわかります。
「若竹の襲」。撮影/小林庸浩京都は三方が山に囲まれている立地で、里山のそこかしこに竹林が広がっています。嵯峨野がおそらく一番有名な名所なのではと思いますが、大原野、大江、深草、八幡など様々な場所に美しい竹林があります。その中で、工房から一番近い地である深草は、伏見稲荷大社の少し南に位置しています。京都の中心からはやや離れた場所ではありますが、平安時代には藤原氏の荘園となり、広大な別荘が建てられていた雅な地でもありました。『続古今集』にも「深草や竹の葉山の夕霧は人こそ見えね鶉鳴くなり」(藤原家隆)など、深草のことを「竹の葉山」と称している歌がたくさん残されており、『竹取物語』の舞台となったのでは、ともいわれています。
吉岡更紗/Sarasa Yoshioka
「染司よしおか」六代目/染織家
アパレルデザイン会社勤務を経て、愛媛県西予市野村町シルク博物館にて染織にまつわる技術を学ぶ。2008年生家である「染司よしおか」に戻り、製作を行っている。
染司よしおかは京都で江戸時代より200年以上続く染屋で、絹、麻、木綿など天然の素材を、紫根、紅花、茜、刈安、団栗など、すべて自然界に存在するもので染めを行なっている。奈良東大寺二月堂修二会、薬師寺花会式、石清水八幡宮石清水祭など、古社寺の行事に関わり、国宝の復元なども手がける。
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更紗さんのお父様であり、染司よしおかの五代目である吉岡幸雄さん。2019年に急逝された吉岡さんの遺作ともいうべき1冊です。豊富に図版を掲載し、色の教養を知り、色の文化を眼で楽しめます。歴史の表舞台で多彩な色を纏った男達の色彩を軸に、源氏物語から戦国武将の衣裳、祇園祭から世界の染色史まで、時代と空間を超え、魅力的な色の歴史、文化を語ります。
協力/紫紅社