特に感心するのは犬の発達した顔面の表情筋とアイコンタクトが可能な白目だ。これは人間と細やかな意志の疎通を図るために備わった特殊な装備であり、ここまで白目がチラチラ見える生き物は人間と犬以外には見当たらない。加えてヒト的な仕草と理解しやすい音声により、飼い主と犬はむしろ人間同士の場合よりも思考と感情をシンクロできる。
「ただいま。あれ、ポチが出迎えない。変だな。あっこれは!」
ポチは開閉式のゴミ箱の蓋を首につけたまま伏目で固まっている。部屋は滅茶苦茶だ。
「お前がやったのか」
「ヒーン、ヒーン」。震えながらにじり寄るポチ。
「すみませんでした、ついやっちゃいました」。上目づかいで許しを請うポチ。
反省している素振りなので「もうやるなよ」と言いながら首の蓋を外してやると、「ありがとうございます! もうしません、たぶん!」とはしゃぎまわる。目はぱっちり、口角もぎゅーんと吊り上がって満面の笑みだ。
このエピソードに含まれる犬の感情は順に、好奇心→興奮→満足→冷静→後悔→焦燥→恐怖→反省→感謝→尊敬→幸福となる。
部屋に放し飼いのアルマジロがゴミ箱を漁った場合はこうはいかない。人間社会の善悪など理解しないし叱っても虐められたと思うだけ。
すなわち欲望→満足→怒り→嫌悪となるので、以後は鉄の檻に閉じ込めて飼うしかない。
まだ見習い獣医だった頃、ある家に往診に行った時、私は妙な違和感を覚えた。室内には綺麗に手入れされた純血の小型犬が3匹、荒れた庭にはボロボロの犬小屋に錆びた鎖で繫がれた雑種犬が1匹飼われていた。
「奥さん、室内の犬たちの予防は終わりました。次は庭の子ですね」
「あの犬はいいのよ」
「でも病気になったら大変ですよ」
「いいのあれは雑種だから」
外に繫がれたその犬はとても寂し気な表情で室内を見ている。
「そこまで差別しますか」
「はい雑種ですから」
私は仕方なくその家を後にした。数年後、件の家から連絡があった。
「庭の雑種が咳をしてうるさいんです」。診察するとフィラリア症に罹患していることが判明した。
「予防をしないからですよ、放置すると死にますよ。治療をしますか」
「結構です、雑種なので」
「もっと可愛がってあげてくださいよ」
すると奥さんは「チェッ」と舌を鳴らして乱暴に犬の鎖を引っ張った。犬が悲鳴をあげたので虐待の前歴があるのではと疑った。
次の瞬間、犬は痩せた身体で最後の力を振り絞り、飼い主の顔面に飛びかかって鼻を食いちぎってしまったのだった。
後日家の前を通りかかると鼻を失った奥さんの庭には空っぽの汚れた犬小屋に落ち葉がたまっていた。悲しい話である。
この犬の感情は困惑→劣等感→悲しみ→苦しみ→無念→軽蔑→諦念→怒り→覚悟だったのだろうか。
「大切な犬なんです、助けてやってください」
人工呼吸器に繫がれたゴールデンリトリバーを見守る飼い主が喉から血が出そうな声で叫ぶ。
「大丈夫だからガラスの向こうから見ていてください」
癌に侵された八つの乳房を摘出する手術は無事成功した。この金色の大型犬は傷口を舐めないように特大のエリザベスカラーを装着しなければならない。
「少し不自由ですが傷が治るまでは外さないでくださいね」
「わかりました」
その日の夕方、飼い主が血相を変えて再び病院を訪れた、犬は連れていない。
「どうしました」
「すみません。もう一つカラーをもらえますか」
「こわれましたか」
「いいえ、家で待っていたもう1頭の犬がムクレてしまいました」
「あ、なるほど」
翌日、公園で見た光景は“手術をしてカラーを付けた犬”と“手術をしていないのにカラーを付けた犬”の2頭がご機嫌で遊んでいるという奇妙なものだった。
家で待っていた犬は、「皆でお出かけだと喜んでいたのに(期待)自分だけ留守番をさせられ(不満)やっと帰ってきた(安堵)と思ったらアイツだけ特別な何かを首につけてもらっていた(驚愕)ずるい(嫉妬)」と解釈したらしい。
そして普通ならば嫌なはずの拘束具を同じように付けてもらって(満足)事態は収束したという図式である。
動物は笑うかどうかの議論にしばしば遭遇する。ほとんどの生き物に喜びや怒りの感情があるのは誰でも何となく認識できると思う。喜んだり怒ったりすることができる生き物なら悲しんだり笑ったりすることもできるから“動物は笑う”は正解だ。ただし人間がコントを見て爆笑するみたいな笑いは存在しない。
笑いの起源は恐怖の表情だ。社会性動物においてこの“畏怖の念”の表現が“畏敬の念”を伝える手段に変わり、やがて笑顔が生まれる。犬は目上の者と認める相手に対して「こんにちは、貴方がちょっと怖いです。でも敵意はありません。仲良くしましょう、うれしいです」の意味で笑うのだ。
具体的には頭を下げ、両耳をぴったりと頭にくっつけ、目を細め、鼻筋に皺をよせ、牙をむき出し、時にはフガフガと鼻で音を立てる。