毎日を心豊かに生きるヒント「私の小さな幸せ」 大切なひとを失った悲しみに寄り添い、回復のサポートをするグリーフケア、病気で余命わずかなかたが心穏やかに終末期を過ごせるよう努めるターミナルケア。その活動に携わって約35年間、多くのかたがたの手を握り、ともに涙し、すべてを笑顔で包み込んできた高木慶子シスター。中学2年時に神様の声を聞いて修道院に入る決意を密かに固め、大学卒業後すぐに誓願を立ててシスターに。宗教家として生きてきた日々での幸せについて伺いました。
一覧はこちら>> 第4回 高木 慶子(上智大学グリーフケア研究所名誉所長)
慈愛に満ちた笑顔で見送ってくださったシスター高木。曽祖父は、江戸・明治時代の長崎で拷問に耐えて生き抜いた、伝説の隠れキリシタン高木仙右衛門。高木慶子(たかぎ・よしこ)1936年熊本県生まれ。上智大学グリーフケア研究所名誉所長。カトリック援助修道会修道女。聖心女子大学文学部卒業後、修道院へ。上智大学大学院神学研究科修了。長年ターミナルケア、グリーフケアに携わっている。「苦しいとき、悲しいとき、無理に元気を出す必要はありません。その苦しみを越えたとき、感謝と喜びを感じられれば、それでよいのです」
今までの日々を振り返ると「私(わたくし)の人生、つらかった」。そのひと言に尽きます。60年前の修道院は今よりさらに規律が厳しくて、里帰りも許されませんでした。
家族、友人、大切なものすべてと距離を置く覚悟で神様との道を選んだわけですが、型にはめられるのが苦手な私には厳しいことの連続。でも、人生つらかったがゆえに得たものが多かった、今は心からそう思います。
シスター高木の宝物たち。十字架は誓願を立てたときに授与されて以来、毎晩枕元に置いている。使いやすくてお気に入りのロザリオ。50年ほど愛用している聖書。「イエス様からのメッセージであるヨハネの福音書13~17が最も好きなんです」。自分を苦しめた人にも感謝し、謝り、祈る
私が「小さな幸せ」を感じるとき、それは「苦しみを体験したとき」です。今84歳なのですが、この年になりますと「苦しみよ、こんにちは」といえるんですよ。試練をありがとう、おかげで成長できる。神様はこの苦しみを乗り越える力を与えてくださっている、と思うからです。
庭の可憐な花。私も若い頃には嘆きながら祈ったこともありました。でも、「あの苦しみに私は耐えて生き抜いてこられたんだ。ありがたい」という感謝が今はあります。皆さんも苦しみの渦中にあると、幸せや感謝を感じるのは難しいですよね。
本当につらいときにはその苦しみを受け止め、悲しみに浸ってもいいのです。時間が経ち、心が落ち着いてから感じる、苦しみを乗り越えた自覚、嬉しさ、感謝。それが“幸せ”ということなのです。
シスター高木の書。幸せとは「仕え合う」こと。私がお手伝いをしているターミナルケアでは余命わずかなかたを毎週お訪ねするのですが、そのかたがたとお話ししていて、涙が出るほど幸せだと思うことがあります。私には、亡くなられるかたが天国へ行く前に心から願ってほしい3つの夢があるんですね。
それは、人生の中で出会ったすべてのかたに“ありがとう”といい、してきた悪い行いに対する“ごめんなさい”をいう、そしてご縁があったあらゆるかたと天国での再会を約束することです。
このマリア様とイエス様の像はシスター高木とともに阪神・淡路大震災で被災。像の首と足が折れてしまったものの、シスター高木は無傷だったそうです。最初は怒るかたもいらっしゃいます。
「みんなに感謝はできる。お詫びもできる。でもお姑さんにだけはいえない」。「お嫁さんにだけは」、「夫にだけは」、「妻にだけは」。自分が嫌だった、または嫌がられた相手には感謝もお詫びも、なかなかできませんものね。
「宗教家の私は信仰の中に生活がある。根底には、神様とともに在る幸せ感が常に流れているのです」。でも、心に寄り添って、お話を続けていくうちにほとんどのかたは素直になられるのです。死を前に、頑なだった心が柔らかくなり、穏やかな表情を浮かべて感謝や謝罪、再会の約束を口にされる姿を見ると、この上ない喜びを感じます。私の言葉がきっかけとなり、すべてのできごとに感謝の気持ちを感じていただければ幸せです。
撮影/大道雪代 スタイリング/阿部美恵 取材・文/小松庸子
『家庭画報』2021年7月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。