すべてを糧に未来を信じて 届け! スポーツの力 第2回(全3回) 私たちはなぜこんなにも、スポーツに魅了されるのでしょうか。人生のすべてを賭けて、競技に向き合ってきたカヌー・スラロームの羽根田卓也選手、競泳の萩野公介選手、スポーツクライミングの野口啓代選手にスポーツへの思いを語っていただきました。
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不調に苦しんだ天才スイマーが辿り着いた境地とは
2020年10月、ハンガリーの首都ブダペストにて開催された国際水泳リーグ(ISL)。萩野選手は400メートル個人メドレーで優勝を飾った。写真/Mine Kasapoglu(IMPRINT)ロンドンオリンピックとリオデジャネイロオリンピックの大活躍が記憶に残る萩野公介選手。持って生まれた才能と弛たゆまぬ努力で日本競泳界のエースとして君臨してきましたが、東京2020を前にした2019年の3月、突然の休養宣言。骨折した右肘の手術以来、泳ぎの歯車が少しずつ崩れ、長らく不調に苦しんできたのでした。
悩み抜いた末の休養、復帰、そしてコロナ禍による東京2020の1年延期。「この時間を1秒も無駄にしない」との決意でチャレンジを続け、摑んだ3度目のオリンピック代表の座。どん底を見たという萩野選手に水泳、スポーツへの思いを伺いました。
萩野公介(はぎの・こうすけ)1994年栃木県生まれ。高校3年生で出場の2012年ロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得。16年リオデジャネイロオリンピックで400メートル個人メドレー金メダルをはじめ、メダル3個と大車輪の活躍。20年12月、21年4月の日本選手権で強さ復活の泳ぎを見せ、200メートル個人メドレーと800メートルリレー東京2020代表内定。ブリヂストン所属。 KOSUKE KITAJIMA CUP 2021(東京辰巳国際水泳場)では復活の泳ぎを見せた。合宿でもほかの選手より1時間前に会場に入り、トレーニングを開始。そんな萩野選手だからこそ、“休む大切さ”に説得力がある。写真/IMPRINT不調、そして休養からの復帰をプラスに変えて摑んだ代表の座
――萩野選手は生後6か月から水泳を始めたそうですね。萩野公介選手(以下H) そうなんです。気づいたら親がスイミングスクールに送り迎えしてくれる、練習の行き帰りの車のなかでした。気づいたら泳げていましたし、試合に出ていました。僕にとって水泳は日常生活にあるのが普通で、ご飯を食べたり、お風呂に入るのと同じ感覚なんです。
――19年3月に「モチベーションの低下」で無期限休養を発表されたのは驚きでした。今は吹っ切れていますか。H 休む前は自分の泳ぎに対するもどかしい思い、辛い気持ちが溢れていった状況でした。休みに入って、すぐにリセットできたわけではないですが、時間をかけて少しずつ気持ちの整理がつくとともに、その思いも自分の体の一部になっている感覚です。
――3か月の休養を経て復帰を選択されましたが、今まで長い休みの経験は?H ないですね。小学生の頃からすでに、週に6日は練習で休みは日曜だけでした。祝日・連休なしに、水泳、トレーニングに集中する日々が20年以上続いてきたので、いただいたお休みで普段できないことをやろうと思い、非日常ではギリシャやドイツへの一人旅、日常生活では中学校時代の先生やコーチなど、普段会えない人に会っていました。毎日の自由を最初は楽しんでいたのですが、人間はいい意味で忘れる生き物なので、水泳から完全に離れた世界で日々リフレッシュしていくうちに「何かルーティンがないと飽きるものだなあ」と。心のなかで、水泳に代わるものがあるのか改めて考えたときに、それ以上の情熱を持てるものを見つけられなかったんです。ああ、今、自分が一番したいことはやっぱり泳ぐことなんだな、と思えたんですよね。
――不調、休養、そして復帰といった体験をどのように受け止めていますか。H 日本人は真面目で勤勉なかたが多いですよね。アスリートも休むのが苦手な選手は多いと思います。僕も、「練習すればするだけ速くなる、強くなる。休むことは毒だ!」くらいに思っていたのですが、少し休んでリフレッシュすることの大切さを実感しました。その休みをどのように使うかが重要なのではないでしょうか。体の疲れは簡単には回復しないものなので、毎日気持ちをどれだけリフレッシュできるか。コロナ禍なので感染対策に留意しながら、休みの日には散歩したり、公園に行ったりして過ごすことが多いですね。