小泉圭介 テクニカルディレクターに聞く
「萩野選手の強さ、スイミングの魅力、スポーツの力」
小泉さんが、中学生だった萩野選手の半月板損傷を看破した2008年からのご縁。21年4月五輪選考会会場にて。写真/IMPRINT大学から社会人時代、アメリカンフットボールの選手だった小泉圭介さん。実はご自身、水泳は苦手で「興味も知識もなかった」のが、アメリカンフットボールで怪我したときに診てくれた理学療法士の先生が水泳のトレーナーだったり、国立スポーツ科学センターのリハビリステーション室の所属になったところ、前任が水泳の担当者。
不思議なご縁が続き、北島康介選手をはじめとする水泳選手も診る流れになり、今に至ります。
写真/IMPRINT陸上やゴルフなど他ジャンルの選手たちも診ている小泉さんに萩野選手の強さの秘密をお聞きしたところ、「10代の頃から、頭のなかに自分のパフォーマンスの明確なイメージがある。相当勉強しているので具体的な意見交換ができ、戦略が立てられるんです」。
中学生時代から萩野選手の成長を見てきた過程で、ターニングポイントは3つあると小泉さん。1つは、高校生で出場した2012年のロンドンオリンピック。初日の男子400メートル個人メドレーで日本人初となるメダルを取ったことで、萩野選手のなかで水泳に対するスイッチが本格的に入ったのを感じたそうです。
それが2つ目のターニングポイントである、16年のリオデジャネイロオリンピックでの大活躍につながりました。3つ目のターニングポイントとしてあげたのは15年の右肘骨折でした。怪我の手術後、微妙に泳ぎの歯車が狂い出したときと、体が変わってくる時期が重なったこともダメージを増幅していました。
「大人のスイマーになる分岐点があると思うんです。泳ぎのセンスがある選手は何も考えなくても速く泳ぐことができ、さらに泳ぎ込むほどに速く強くなる時期がありますが、たいていは大学生初期までで終わってしまう。その先は自分の体と相談して練習、休み、ケアを考えて泳がなければならない時期が来る。社会人になってもトップスイマーとして長く維持するためには、主体的に切り替えることが非常に大切なんです」。
「自分のイメージとかけ離れた泳ぎになってしまう」と約5年にも及ぶ不調に思い悩んでいた萩野選手でしたが、覚悟を決めて休養を取り、水泳、そして自分を見つめ直した主体性が今回の復調につながっていると小泉さん。
2020年夏、「また定期的に診てほしい」と萩野選手から連絡が来たのも、その表れ。もちろん、師事する平井伯昌(のりまさ)コーチにいろいろ相談してはいますが、「公介にとって、自分で主体的に物事を決めて動いた結果、オリンピック代表を勝ち取れたことは非常に大きい。本人にとっては今、メダルの色以上に、彼が思い描くいい泳ぎ、力みなく、抵抗なく泳ぐパフォーマンスを表現できるかが非常に大事なのだろうと思います。
オリンピックをめぐる状況は混沌としてはいますが、あの舞台で彼が満足できる泳ぎができれば、それが萩野公介にとっての勝利なのだろうと。ぜひそれを実現してほしいと願っています」と真心こもるエールを送ってくれました。
小泉圭介(こいずみ・けいすけ)1971年福井県生まれ。理学療法士、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー、日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツトレーナー。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。オリンピック・パラリンピック競泳代表のトレーナー。 〔特集〕すべてを糧に未来を信じて 届け! スポーツの力
構成・取材・文/小松庸子
『家庭画報』2021年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。