第10回 ある日の診療日誌(2)いざ往診! 見習い獣医は今日も行く
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
大学出たての新米獣医
今日も今日とてテンテコ舞い
腕はないが愛がある
経験ないけど情がある
無一文でも明日がある
お師匠さんにしごかれて
丁稚奉公1年目
お得意さんをまわります
昔々の私です
「野村君、午前中の診察は終わったか? では、電話番をしながら5分で飯を食って往診の支度、クルマ洗って出動。行く場所は4軒。帰ってきたらオペの準備と手伝い、終わったら片付けと夕方の診察、入院患者の治療と掃除、家に帰るついでに所沢と小平と練馬の往診だ」
師匠はそう言うと、昼食の高級鉄火丼をがつがつと食べ始めた。
「了解です。しかし帰りの往診は、ついでと言うわりに方向がバラバラですね……」
「文句言うな」
「すいません。心の声が出ちゃいました」
私のエサは食パン2枚、1分でたいらげて行動開始だ。
師匠は人使いが荒かった。「山に行ってタケノコを採ってこい」とか「娘の彼を追い払え」などという無茶な命令もあったが、その話はまた別の機会に。若くて未熟で少しトッポい私なんかを拾って、飼って、躾をしてくれている師匠には恩を感じていたし、キツくても毎日の仕事が楽しくて楽しくて、本当に幸せだった。
師匠は自称芸術家の実弟さんと仲が悪かった。弟さんが私に言った。
「お前は今までの弟子の中で一番マシだと思うけど、兄貴の言うことならなんでもきくのか」
「もちろんです」
「まるで犬だな」
「えっ! 嬉しいです」
これは本心だった。サルとかでなくてよかったと思った。犬は強くて利口で美しくて最高の生物じゃないか。
出かける前は身だしなみを整える。病院の使者である以上、師匠に恥をかかせてはいけないからだ。さあ、往診に出発である。
しかし私が命じられる行き先は“手ごわい飼い主”が待っていることが多かった。修業の一環だったと思いたい。決して「嫌な客は野村君に任せちゃおう」ではなかったはずだ。
古いアパートに到着した。
「こんにちは、往診に参りましたよ」
「アラアラ、お上がりください」
目の不自由なお婆さんに出迎えられた。
「猫の下痢が治らなくて困っていますのよ」
部屋の中はかなり荒れ果てていた。
「お婆さんは一人で暮らしてるのですか」
「猫と二人暮らしですよ」
「ご不便ではありませんか」
「慣れましたよ」
道具を広げながらそんな話をしている時、彼女がさかんに畳に散らばっている何かを口にしているのが気になった。
「あの、さっきから拾って口に入れているものは何でしょう」
「私は目が見えないからお米をこぼしてしまうの。だから拾って食べるのよ」
昔の人はそういうところがある。しかしそれは乾燥した米などではなかった。
「言いにくいのですが、それは猫のサナダムシの切れ端ですよ。寄生虫の体節です。猫の腹の中に本体がいて端から切れて肛門から出てくるんですよ」
「ええ!?」
「ばらまかれた体節は蚤の幼虫に食われ、卵が蚤の体内に移動します。その蚤が成虫になると猫につき、痒がった猫が身体を舐めて蚤を飲み込みます」
「アラ!」
「飲まれた蚤は死にますが、身体の中の寄生虫は生き延びて育ちます。そうやって分布を広げる虫なんです」
「では私も?」
「明日かかりつけの病院に行ってくださいね」
さあ大変だ。先ずは猫に蚤取りの処置をして虫下しを飲ませた。次は部屋の大掃除だ。俺がやらねば誰がやる。
家財道具を全て移動させ、隅から隅まで掃除機をかけ、拭き掃除をした。押し入れの中も全て片付けた。ついでに台所とトイレもピカピカにした。
「ところでお子さんはどこにいるんですか」
「こんな年寄りは邪魔だろうから離れて暮らしてます」
「目が見えない母親を一人で放っておくなんて」と言いかけたがやめた。子供の悪口は聞きたくないだろう。母親は子供の幸せを一番に考えるものなのだ。
「若い親切な先生、ありがと。肉まん買ってあるので食べて行ってね」