羽根田 卓也(カヌー・スラローム)
水の呼吸を読み、水を味方につけてさらなる高みへ
羽根田 卓也(はねだ・たくや)1987年愛知県生まれ。父と兄の影響で9歳からカヌー・スラロームを始める。高校卒業後、単身カヌー強豪国のスロバキアへ。競技力とともにスロバキア語も磨き、同国の国立大学卒業、大学院修了。2016年リオデジャネイロオリンピックで、この競技アジア人初となる銅メダルに輝く。東京2020ではさらなるメダル獲得を目指す。ミキハウス所属。写真は、リオ五輪、カヌー・スラローム男子カナディアンシングル決勝。人工コースの激流のなか、羽根田選手は巧みなパドル捌きで、日本カヌー界悲願のメダルを手繰り寄せた。写真/picture alliance(アフロ)世界で戦える力をつけたい一心で、18歳でカヌー競技が盛んなスロバキアへ渡った羽根田卓也選手。大学進学も諦めたくなかったため、競技生活と両立できる現地の大学の体育学科に入学し、言葉の壁に悪戦苦闘しながらも大学院まで進み、見事修了。その強い意志と抜群の行動力は感動的ですらあります。
試合で緊張するかを尋ねると、「めちゃくちゃしますが、緊張するのはあたりまえ。逃げずに自然体で向き合い、打ち勝つのが僕のやり方です」。
4度目のオリンピックを目前にした日本カヌー界のパイオニアは、どんな質問にも、爽やかな笑顔で誠実に答えてくれました。
2016年リオ五輪の表彰式では、満面の笑みで銅メダルを掲げた。この日から日本におけるカヌー競技の認知度が各段に上がった。写真/Shutterstock(アフロ)現実離れした目標だったメダルに手が届いた日
――カヌーを始めた当初、激流が怖くありませんでしたか。羽根田卓也選手(以下H) カヌー選手だった父に連れられて川遊びに行き、初めてカヌーに乗ったのは、1歳か2歳のときだと思います。さすがにその頃の記憶はありませんが、小学3年生のとき、兄と一緒に選手としてトレーニングをするようになった当初は、激流が怖かったですね。中学2年生くらいで激流を克服できるようになると、怖いものから楽しいものへと変わりました。
――今までの競技人生で、いちばん苦しかったのはいつですか。H 2008年の北京オリンピックに出場した頃です。自分がどれだけトップから遠い位置にいるかがわかり、苦しいというより、気が遠くなるような感覚に陥りました。それからリオオリンピックまでの8年間は、一つ一つ階段を上っていった感じです。
――逆にいちばん嬉しかったのは?H やはり、リオで銅メダルを獲得したときですね。高校生の頃からの夢でしたから。でも、当時は日本と世界のカヌーではレベルに大きな差があって、現実離れした目標だったんです。それが徐々に国際大会でも成績を残せるようになっていくと、現実味を帯びてきて。それでも、リオ大会の直前には、本当に自分は夢に手が届くのだろうかと不安になりました。だからこそ、メダル獲得が決まったときの感動、達成感は大きかったです。人生で最高に素晴らしい経験をさせてもらった瞬間でした。