〔連載〕京都のいろ 京都では1年を通してさまざまな行事が行われ、街のいたるところで四季折々の風物詩に出合えます。これらの美しい「日本の色」は、京都、ひいては日本の文化に欠かせないものです。京都に生まれ育ち、染織を行う吉岡更紗さんが、“色”を通して京都の四季の暮らしを見つめます。
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七夕に想う、色と織物の深いつながり
文・吉岡更紗7月に入ると、毎年栽培をお願いしている伊賀上野の榮井農園さんから紅花の開花状況が入るようになります。冬に染める紅花は、この時期に丸い黄色い花を咲かせます。花が咲き始めた、という知らせが入ると工房総出で、2~3日に1回、摘み取りに出かけます。
摘み始める日が7月7日になることが何年か続き、榮井さんが「七夕の織姫と彦星みたいやね」と仰っていたことが印象に残っていますが、今年は少し開花がゆっくりの様子で、摘みはじめはもう少し後になりそうです。
写真/伊藤 信7月7日は七夕の節句です。現代は五色の短冊に願いを書いて、笹の葉に飾る、という習慣が定着していますが、もともとは五色の糸や布を飾り、天の川に向かって、機織りの技術や裁縫の技が上達するようにと祈る中国の儀式「乞㓛奠(きっこうでん)」に由来しており、絹織物の誕生と深く関わっているといわれています。七夕は棚機(たなばた)、とも書き、織物に秀でた織姫の伝説に基づいていると考えられています。
絹は、中国で4000年以上前に発見されたといわれており、光沢があり軽く、非常に長い繊維を持っています。植物の染料とも相性がよく、染めた糸は機にかけて文様を表し、多彩な美しい織物を生み出すことができるようになりました。
織物や裁縫は女性が担う仕事となり、美しい織物を織るのが得意な織姫と牽牛(彦星)の恋物語は、七夕伝説として今も語り継がれています。
絹や染色技術とともに七夕などの習わしも日本へと東伝し、飛鳥時代には同様の儀式が行われるようになります。東大寺正倉院には奈良時代、宮中にて儀式が行われた際に使われた道具や糸巻、針などが残されています。
平安時代になると、上巳(じょうし)や端午の節句とともに重要な儀式の一つとなり、京都御所の北側にある冷泉家で旧暦の7月7日に現在も執り行われている「乞㓛奠」も、当時の形式を伝えています。
もう少し時代を進むと、この節句は庶民にも広まり、織物や裁縫の上達を願うだけではなく、学問の向上や、書道の上達なども祈るようになります。そして、儀式の中で五色の糸や布の前に飾られていた梶の葉に、願い事を書くようになりました。
やがて、その梶の葉は紙で作られた短冊に変わり、笹の葉に結んで願い事をする、という様式に変化していきます。
写真/小林庸浩飾られる様子や形態は時代によって大きく変わっていきますが、使われる布や糸、短冊の色は青、赤、黄、白、黒の五色です。これは中国に古来伝わる陰陽五行説に由来しているといわれています。人間が自然界で生活をしていく上で大切にしている木、火、土、金、水の五元素同様、青、赤、黄の三原色に、無彩色の白と黒があればどのような色相も生み出すことができるとし、大切にされてきた色です。
七夕の節句は、染色を生業とする私にとっても絹の発明をありがたく感じ、色の原点を見つめなおす大切な時でもあります。
吉岡更紗/Sarasa Yoshioka
「染司よしおか」六代目/染織家
アパレルデザイン会社勤務を経て、愛媛県西予市野村町シルク博物館にて染織にまつわる技術を学ぶ。2008年生家である「染司よしおか」に戻り、製作を行っている。
染司よしおかは京都で江戸時代より200年以上続く染屋で、絹、麻、木綿など天然の素材を、紫根、紅花、茜、刈安、団栗など、すべて自然界に存在するもので染めを行なっている。奈良東大寺二月堂修二会、薬師寺花会式、石清水八幡宮石清水祭など、古社寺の行事に関わり、国宝の復元なども手がける。
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更紗さんのお父様であり、染司よしおかの五代目である吉岡幸雄さん。2019年に急逝された吉岡さんの遺作ともいうべき1冊です。豊富に図版を掲載し、色の教養を知り、色の文化を眼で楽しめます。歴史の表舞台で多彩な色を纏った男達の色彩を軸に、源氏物語から戦国武将の衣裳、祇園祭から世界の染色史まで、時代と空間を超え、魅力的な色の歴史、文化を語ります。
協力/紫紅社