【執筆は昭和の面影を宿すダイニングで】愛用のサインペンと原稿用紙は軽井沢にも必ず持参。家具や調度品の多くを井上家から引き継いだ室内は落ち着いた雰囲気だ。特別寄稿「軽井沢で楽しむ優雅な朝」──林 真理子
私がまだ若かった頃、時々“軽井沢カンヅメ”にされた。
作家に集中的に原稿を書かせるため、ホテルや旅館に一定期間宿泊させることをカンヅメという。それを軽井沢の出版社の保養所でやってくれというのだ。
もう三十五年くらい前のことになるが、どこの出版社も立派な保養所を持っていたものだ。今はほとんどない。
私が最初に泊まったところは、大正時代の建物であった。かぎ針編みのレースのテーブルクロスや、年代物のピアノがある応接間をはっきりと記憶している。そして次に泊まった保養所はずっと新しく広かった。共通しているのは、どちらも年配の女性がいて食事を作ってくれたことだ。野生のクレソンを摘んだサラダのおいしかったこと。
女性編集者たちと一緒に、散歩がてら森村 桂さんの店に行き、バナナケーキをお腹いっぱいいただいたこともある。
この頃は物書きのハシクレになっていたから、作家の別荘をあれこれ見て歩いた。まさか自分が、将来ここに家を買うとは想像もしていなかった。
しかし購入してからも仕事の忙しさは変わらず、車の運転をしない私は出かける機会があまり多くない。みなから「もったいない」と言われるのであるが、いつかはきっと時間ができて、優雅な軽井沢ライフをおくれると確信しているのである。その日のことを想像すると、ゆったりとあたたかい気持ちになってくる。
さて、別荘を構えてよかったことは、朝をたっぷりと楽しめることだ。早朝、まだ元気だった愛犬を連れて、近所のあちこちをよく歩いた。別荘地の静寂は格別で、足音さえ申しわけなく感じたほどだ。が、この空気を共有しているという思いは、やはり家を持ったからに違いなかった。
【別荘近くの名所へ深緑散歩。室生犀星記念館】「苔庭が美しいでしょう。犀星は自ら庭造りをしたのだそうです」と林さん。室生犀星が亡くなる前年までの30年間、毎夏を過ごした旧居は現在、記念館として一般公開されている。“多くの文豪が愛した軽井沢には
作家にとって居心地のいい
空気が流れている気がします”林 真理子さん(作家)