毎日を心豊かに生きるヒント「私の小さな幸せ」 日本を代表する知の重鎮・山折哲雄さんが京都に移り住んでから30年。それはまさしく平成年間に重なります。国民皆が自由を渇望し、ある程度の満足感を得た昭和を経て、経済的安定を基盤に平等と「幸せ」を求めた平成の時代。しかし、存在する不平等を前に、クレーマーが生み出される「不幸」が起きていると看破します。90歳になってもまったく衰えを見せない、ものを書く意欲。この数年、脳梗塞や風邪からの肺炎といった病気と戦いながらも好奇心を刺激し続けてきたのは、露地小路や川べりの散歩でした。
一覧はこちら>> 第5回 山折 哲雄 (宗教学者)
「人間は誰でも最後、土に還る。これが気持ちを何となく安定させる世界観ですね。宮沢賢治の言葉にある“宇宙の塵となりて”も理想的です」と山折さん。山折哲雄(やまおり・てつお)1931年アメリカ・サンフランシスコ生まれ。宗教学者。東北大学インド哲学科卒業。国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同センター所長などを歴任。宗教から文学、社会事象まで見識の広さで名高い。「京都に暮らし、30年。あの世とこの世が地続きになっているこの界隈の散歩は歴史の旅、旅への妄想、幻想を掻き立ててくれる楽しい時間」
この1年、withコロナ、afterコロナに加え、コロナdeath=コロナ死の問題が新たに出てきたと感じています。どこで誰がどのような形で、コロナによる死の瞬間を迎えることになるかわからない。健常者、障がい者、いろいろな格差で苦しむ人びとの前にある意味、平等な形でコロナ死が現れたわけです。
それに対してどう生きていくか。ある種の覚悟を以て、暮らしのあり方をそれぞれの居場所で真剣に考えるべきときなのだと思います。
鴨川から望む京都三山。「この山並みを見ながら歩いていると、その中にす~っと自分の体が吸い取られていくような気分になることがある。これが非常に快くてたまらないのですよ」と山折さん。「地球温暖化や超高齢社会など、地球も人間もさまざまな障がいを抱えているところにコロナ禍も加わった。これらの問題を、待ったなしに考え抜かなければなりません」。その洞察の鋭さは、ますます冴え渡る。生きていく上で「幸せ」は第一義ではなかった
私にとって「幸せ」や「幸福」という言葉はそれほど重要なキーワードだと思ったことが一度もないんです。第二次世界大戦の敗戦時、旧制中学2年だった私には「幸せ」なんてことは生きていく上での第一義ではなかった。貧しさ、病気、争いといった時代を戦後、生きてきた人間です。
露地小路のところどころに祀られている小さな祠。朝晩手が入り、水やお花、お菓子などが添えられ、綺麗に掃き清められている。「幸せになんてなるものか、ならなくてもいいよ」と。それが出発点でした。それはなぜかというと、敗戦によって「自由」というものを体験できたことが大きいでしょうね。何をいってもいい、何をしてもいいという圧倒的な喜び。それは「幸せ」というレベルとは違うんです。
生きがいを求める原始的な衝動とでもいいましょうか。戦後間もなくの頃、同人雑誌を作ることになった自由の喜び。これは私の生きがいでしたね。少しずつ衰えを感じるようにはなりましたが、ものを書く執着、欲望はその頃から一つも衰えません。
世界一の超高齢社会を迎えている日本。私も今年90歳になりましたが、老人というのは毎日変化するんですね。今日と明日、朝と晩、変化変容を繰り返していく。ある意味では成長、ある意味では退化かもしれない。ここからの人生をどう生き、どうなるのかということが新しい興味の対象になってきました。
山折さんの書。散歩中に出会う愛らしいお地蔵さんに想いを馳せて。その上で私にとって、いちばん意味があること、それは散歩なんです。京都ですから数分歩くだけで親鸞上人や道元禅師がご入滅した地があったり、本能寺跡があったり。散歩は歴史の旅、旅への妄想、幻想を掻き立ててくれる。
露地小路を歩いていると、これは天国、極楽に通じる道なのかもしれないなあと思ったりすることもあります。
上・哲学の道。写真/越沼伸明 下・鷺と鴨川。写真/山本偉紀夫場合によっては地獄に繫がる。京都はあの世とこの世が地続きなのです。90過ぎた老人の、今の楽しみということになるのかな。しかも好奇心を誘ってやまないわけですから、散歩はやめられないんですね。
撮影/五十嵐美弥(人物) 大道雪代(風景) スタイリング/阿部美恵 取材・文/小松庸子
『家庭画報』2021年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。