エッセイ連載「和菓子とわたし」
「和菓子とわたし」をテーマに家庭画報ゆかりの方々による書き下ろしのエッセイ企画を連載中。今回は『家庭画報』2021年8月号に掲載された第1回、俳優の檀 ふみさんによるエッセイをお楽しみください。
vol.1 母が待っていた水羊羹
文・檀 ふみ
おいしい和菓子のお店が、もの心がつく前から家のすぐ近所にある。ごく普通の日本人にとって、これは、幸せの大いなる源といえるのではないかしら。
わたしはそんな幸せに恵まれている。
和菓子は、季節と密接に結びついている。桜のころには桜餅が、端午の節句が近づくと柏餅が、十五夜には月見団子が店頭に並ぶ。
母が和菓子が大好きだった。季節の変化を、つまりは和菓子の変化を決して見逃さず、いち早く初物を買ってきてくれた。
そして、子供たちと一緒に食べるたびに、自分の細くなった食を嘆くのだ。
「むかしは十個でも二十個でも食べられたのに!」
考えてみれば、そのころだって、いっぺんに二個、三個と食べていたのだから、決して食が細くなっていたわけではない。子供時代の、甘いものへの痛いほどの憧れを、懐かしんでいたのだろう。
自宅で療養していた母が、亡くなる前に望んだのも和菓子だった。
「水羊羹が食べたいわ……」
腸閉塞を起こしており、鼻から管を通して、胃の中のものを吸引していた。ものが食べられる状態ではなかったが、なんとか「味わう」幸せだけでも感じてほしかった。
さっそく近所の和菓子屋さんに走った。しかし、あいにく季節は三月。まだ水羊羹の出番ではなかった。
その時は頭が回らなかった。インターネットで調べて缶詰を取り寄せる……なんてことも思いつかず、オロオロとあちこち探し回っているうちに、母の体力と気力と興味から、「食べること」が失せていってしまった。
母が食べたかったのは、どんな水羊羹だろう。以来、水羊羹の季節になると、ウィンドーの中をしげしげと見て回らずにはいられない。「まあ、きれいねぇ。涼しげねぇ」と目を細める母が、すぐそばにいるような気がする。
檀ふみ
俳優。高校生でデビュー以来、数多くの映画やテレビドラマなどで活躍する。作家の檀一雄氏を父に持ち、自身もエッセイストとして評価が高く、著書多数。友人の阿川佐和子氏との共著、『ああ言えばこう食う』では第15回講談社エッセイ賞を受賞。
表示価格はすべて税込みです。