〔連載〕京都のいろ 京都では1年を通してさまざまな行事が行われ、街のいたるところで四季折々の風物詩に出合えます。これらの美しい「日本の色」は、京都、ひいては日本の文化に欠かせないものです。京都に生まれ育ち、染織を行う吉岡更紗さんが、“色”を通して京都の四季の暮らしを見つめます。
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涼をもたらす、淡く透き通った夏の色
文・吉岡更紗祇園祭も終わり、8月の京都は本格的な夏を迎えます。本年は少し湿度が低いように感じられますが、それでも35℃を超える日が続き、火を使う染色作業は体にこたえます。
染司よしおかの工房は、20年ほど前から井戸水をひいています。工房のある伏見区は、かつては「伏水」という漢字が使われていたほど、水の豊富な地域です。そのため酒造業が盛んで、水質も非常にいいと言われています。
地下約100mから水をくみ上げ、配水パイプをはりめぐらせているため、工房のいたるところで蛇口をひねると井戸水が出るようになっています。井戸水は常に14℃程度の水温を保っていて、冬は温かく、真夏にはとても冷たく感じます。あまりにも暑い日が続くと、井戸水をはったバケツに素足を入れながら染色作業をします。8月1日まで下鴨神社で行われていた「御手洗祭(みたらしまつり)」のように、「私的御手洗」をして、涼をとるようにしています。
このように暑い夏は、やはり藍色のような涼しい色目に惹かれます。染色の材料となる蓼藍(たであい)は、工房の近くにある山田ファームさんに毎年栽培をお願いしていて、ちょうど今が最盛期となります。その畑は、かつては巨椋池(おぐらいけ)という湖といってもいいほどの大きな池だった場所ですが、昭和の初めから干拓が行われ広大な田畑となり、米や野菜などが栽培されるようになった一角にあります。
藍畑。写真/紫紅社蓼藍の葉を刈り取り、細かく刻んで酢水の中で揉み込むと、藍の色素が溶け出します。そこに絹布や糸を入れると、最初は葉に含まれる葉緑素のために薄い緑色に染まりますが、その後、水で洗うと澄んだ爽やかな水色に染まります。これは藍の生葉染(なまばぞめ)と呼ばれる、新鮮な蓼藍の葉が収穫できる今の季節だけの染色方法です。
生葉染をした絹糸。写真/紫紅社一年を通して藍染めをする場合は、蓼藍の葉を発酵させた「蒅(すくも)」を使い、灰汁(あく)を入れて、藍甕で仕込むという方法を用います。工房にある藍甕は、外気の影響をなるべく受けないように地中に埋めていますが、それでも藍は発酵物なので夏は状態がよく、最適な季節です。発酵の調子の良い日は、甕をかき混ぜた泡が消えることがなく、それを「藍の花が咲く」といいます。
「藍の花が咲く」。写真/紫紅社藍で染められた色名は、紺色、縹色(はなだいろ)、空色、浅葱色、水浅葱など濃いものから淡い白に近いものまでたくさん名づけられています。その中で一番淡い淡いものが「甕覗」と呼ばれる色です。発酵が進むと藍の色はより濃く染まるようになります。濃い藍色を得ようとすると、調子のよい日を選んで、繰り返し糸や布を染めますが、甕覗は、藍が建ちはじめた頃に1度だけ藍甕にさっとくぐらせることによって得られる、淡い澄んだ爽やかな色です。
この名前の由来は、2つ説があるといわれています。1つは、蒅と灰汁を入れて発酵した状態で満たされている甕を覗き込むと、空の色が映っているように見えるというものです。そして、もう1つは、藍甕の中に数秒布をつけて取り出した色で、つまり布が甕の中をほんのちょっと覗いただけで生まれた色という意味合いが含まれています。藍甕の調子を覗くという意味も含まれているのでしょうか。日本人らしい遊び心のあふれる名前のつけ方であると思います。
甕覗のような爽やかな藍の色を眺めていると、しばし外の暑さを忘れることができ、涼を楽しむことができます。
吉岡更紗/Sarasa Yoshioka
「染司よしおか」六代目/染織家
アパレルデザイン会社勤務を経て、愛媛県西予市野村町シルク博物館にて染織にまつわる技術を学ぶ。2008年生家である「染司よしおか」に戻り、製作を行っている。
染司よしおかは京都で江戸時代より200年以上続く染屋で、絹、麻、木綿など天然の素材を、紫根、紅花、茜、刈安、団栗など、すべて自然界に存在するもので染めを行なっている。奈良東大寺二月堂修二会、薬師寺花会式、石清水八幡宮石清水祭など、古社寺の行事に関わり、国宝の復元なども手がける。
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更紗さんのお父様であり、染司よしおかの五代目である吉岡幸雄さん。2019年に急逝された吉岡さんの遺作ともいうべき1冊です。豊富に図版を掲載し、色の教養を知り、色の文化を眼で楽しめます。歴史の表舞台で多彩な色を纏った男達の色彩を軸に、源氏物語から戦国武将の衣裳、祇園祭から世界の染色史まで、時代と空間を超え、魅力的な色の歴史、文化を語ります。
協力/紫紅社