聞き手になる、話し手になる。そして明日に向かう繰り返し
義父のうつ病が進んできた頃、夜中に「ママ」とヘレンさんを呼ぶ声が聞こえます。部屋に向かい、「どうしましたか?」と尋ねると、暗い表情で「寂しい......」。
「お話を聞かせていただくうちに、安心するのでしょうか、義父の顔に少し、微笑みが浮かんでくるんです。耳を傾けるって大事なんだなと思いました。でも聞き手になるばかりでは私が参ってしまいます。たまったら主人や主人の姉たちに吐き出し、吸い取ってもらって、また明日が始まる。その積み重ねでしたね」
子どもたちにもずいぶん助けられたといいます。ヘレンさんの血圧が200ミリHgまで上がって体調が悪化し、入退院を繰り返したときには、長男が母たち2人をしばらく東京に連れ出し、次男も手伝って面倒を見てくれました。
その間、義父の世話を引き受けてくれたのは長女。「ママ、今日は楽をして」と3人で料理を作ってくれたこともありました。
「好きなお香を焚くと心は安らぎ、気持ちはしゃんとします」周囲に助けられながら、ますます大変になっていく介護を必死に続ける毎日。そんな中にもハッと思ったり、ほっとしたり、思わず笑ってしまう日常の光景がありました。
「お洋服に着替えましょう」と母たちの脱ぎ着を手伝い、髪もきれいに整えると、パジャマ姿とはまるで別人のしゃんとした顔つきになります。義父の髪をバリカンで揃えると、病人から「父」に戻るのです。
そして、耳の遠くなった3人がそれぞれバラバラなことをいいながら、なぜかお互いの間では話が通じている様子の面白いこと──。出口の見えないトンネルも、ただ真っ暗な闇ばかりではありませんでした。
「不思議なんですけど、私は、逃げればいいのに逃げなかった。もう嫌!と何度も思ったけれど、頼られると嬉しかった。最後まで私に見させてほしいという気持ちは変わりませんでした」
それはなぜなのでしょうか──。ヘレンさんの記憶の中に、ご自身が子育てで大変だった頃、若くて元気だった父母たちに助けられたことへの感謝があるといいます。
どうにも我慢できず家を飛び出したとき、足が向かうのは、かつて子どもたちが通っていた幼稚園の前。
「おばあちゃんが送ってくれた。おじいちゃんがお迎えに行ってくれた」と思い出すと、荒れた気持ちも鎮まっていきました。
「つらくてどうしようもないときは、そこにじっと留まらないで、動いて“変える”ことです。外に出て居場所を変える、好きなものを見たり聞いたりして気分を変える。私はお花をいけたり庭の草花の手入れをするときは無心になれましたし、お気に入りのお香を焚くだけでも気持ちが安らいだものです」