優秀なる美人女医が報告する。
「橈側皮(とうそくひ)静脈に細胞投入装置設置完了しました」
彼女は数多い弟子の中でたった一人だけ清潔な心のままで最高に達した職人であり、1ミリの血管に2ミリの器具を入れる細やかな手先を持つ。
「御苦労。では血管内注入機、微速作動開始せよ」
「了解しました」
患者は老齢のチワワ。脊髄を損傷して半身不随が数年続いていたらしい。体重は5キロ、この場合1時間かけて500万個の再生幹細胞を全身血流ルートで移植する。
「はい終わりました。副反応監視のため休んでいただき、その後は家に帰っていいですよ」
「え、これで終わりですか」
「終わりです」
飼い主はキツネにつままれたような顔をした。
「隊長、こちら再生幹細胞第二小隊、半数が脾臓に停滞中」
「第三小隊同じく」
「第四小隊は突破しました」
「こちら隊長、残りは標的を目指して進軍せよ」
「兵員の40パーセントが脾臓で沈黙」
「想定内だ。みんな頑張れ」
チワワの体内では目に見えないミクロの部隊の活動が続いていた。
「報告。全体の30パーセントがサイトカイン救難信号発進部位に到達。これより神経細胞に変身します」
「よーし、レッツ変身!」
「変身完了」
「神経の通電開始せよ」
「秒読み開始!」
「接続成功。脳信号を両脚に伝えます」
翌日、病院に興奮した飼い主から電話があった。
「センセ」
「はい」
「うちの子がいないの」
「え」
「いつもの座布団の上にいないの」
「それで?」
「でもいたの」
「どこに」
「台所で料理をしていたら足元に立っていたの」
「自力で歩いたわけですね」
「下半身マヒが治るなんて、すごいわあ」
この再生医療に用いる幹細胞とは、簡単に言うと“赤ちゃん”のようなものである。将来何にでもなれるポテンシャルを持っているため、損壊した場所に到達するとその部分の細胞に変身して置き換わることができるのだ。そして時として信じられないくらいの即効性を発揮するのである。
「こちら第八小隊、眼球に漂着」
「こちら第九小隊、皮膚に停滞」
「こちら第十小隊、脳関門を突破しました」
「こちら隊長、ターゲットの修復は進行中、未到達の部隊はそのまま活動せよ」
翌々日、再び飼い主の電話を受けた。例によって興奮状態だ。
「センセ、うちの子、床に散らばったフードを見つけて食べてるの」
「つまり?」
「齢(とし)で目が悪くなっていたのに見えるようになったの」
「よかったですね」
そして検診の日が来た。飼い主が連れてきたチワワは歩き回り、白内障も改善され、さらに驚くベきことに顔の白髪が黒髪に戻って若返っていた。
「センセ、うちの子に何が起こったのかしら」
「血管から全身に細胞投与をしたので、ついでに他の悪いところも治ったみたいですね。これが再生医療の副作用です」
「副作用って身体に悪いんでしょ」
「目的以外の作用を副作用と言います。悪いことばかりではなく良い副作用もあるわけですね」
私は不退転細胞隊にねぎらいの言葉をかけた。
「諸君は過酷な任務を遂行し、大いなる戦果を示した。よくやった」
「………」
偉大なる彼らは既に患者の肉体と同化し黙して語らなかった。誉れの陰に涙あり、ああ今は亡き武士(もののふ)の笑って散ったその笑顔。いや実は彼らは犬の体内の部品に変身してしっかりと生きているのだが。
その後計3回の細胞移植を行った老犬はすっかり普通の犬に戻り、6年経った現在も元気に暮らしている。