スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 野村獣医科という空間においては、飼い主は等しく動物の命や健康と向き合っている存在であり、飼い主の職業や社会的地位で区別されることも、それが問われることもありません。とはいえ、なかには自らの素性を語り出す飼い主もいて、そこから思いがけない展開になることも……。
一覧はこちら>> 第12回 コソ泥と愛犬
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
「院長先生、刑事さんから電話です」
何ごとかと思い、心配顔の看護婦長から受話器を受け取る私。
「どうしましたか」
「野村先生から10万円借りたと言い張っている泥棒がいるのですが、本当ですか」
「貸していませんよ。そんな物騒な知り合いなんかいませんし」
「わかりました。『おいコラッ! 先生は知らないって言ってるぞ。お前また苦し紛れに噓ついたな』。あ、こっちの話です、失礼しました」
どうやら刑事さんは取り調べ中に供述のウラをとるため、犯人の目の前で電話をかけているようだった。それにしてもなぜ私の名前が出てきたのだろうか。私はある飼い主を思い出した。
「あ、もしかしたらその泥棒は小柄な爺さんですか」
「え、そうですが、よくご存じで」
「きっとうちの患者さんだと思います」
「ええっ!」
「その人、やっぱり本物の泥棒だったんですね」
35年も病院をやっていると、患者数も多いため様々なタイプの飼い主が訪れることになる。普通の人たちに交じって政治家や芸能人はもちろん、大富豪や人間国宝、そうかと思えばユーチューバーや宇宙人みたいな人まで何でもござれの状態だ。
大勢の人間が集まる場所ではどこでもそうだと思うが、こうなるときっと詐欺師や窃盗犯もいるはずで、時には非番の警察官の横に座ってお互いに気付かずに順番を待っているなんてこともあると思う。
もちろん病院に訪れる客がどんな家業だろうと私は差別も区別もしない。私の目には一律に“動物の健康を取り戻したいと願う愛すべき飼い主たち”にしか見えないし、実際にここに来る人間はそうなのだから誰もが均一かつ平等になる。
「刑事さん」
「はい」
「その泥棒は死刑ですか?」
「いえ、今回は不法侵入だけですから」
「では、犬をうちで預かると伝えてください」
「え! こいつ、犬なんか飼ってるんですか。『おい! お前がうちの“別荘”に入っている間、先生が犬の面倒みてくれるってよ。よかったな』。あ、たびたび大声出してすいませんです」
かくして泥棒の愛犬はパトカーで我が病院に護送された。ペスという名のこの小さな雑種犬はその境遇に大いに問題があるものの、本人にとっては飼い主の稼ぎ方などもちろんどうでもよく、いつもとうちゃんと一緒にいたいだけのごく普通の犬だった。
「おまえはしばらくこの病院で私と暮らすんだよ」
それにしてもステレオタイプなペスという名前、チェコ語の「犬」を表す言葉が起源とされているが、昔は「ぺスター」=「害獣」が元になっていると言われていた。
後者が正しいとすると、これは飼い主が無意識に自分の本性を示してしまったのかもなどと思いつつ、少し汚れて鼻水を垂らしているペスを見れば、ああやはり犬は無条件に可愛いのだった。しかしぼんやり外をながめる横顔は何だか不憫で切ない。