エッセイ連載「和菓子とわたし」
「和菓子とわたし」をテーマに家庭画報ゆかりの方々による書き下ろしのエッセイ企画を連載中。今回は『家庭画報』2021年11月号に掲載された第4回、エッセイストの平松洋子さんによるエッセイをお楽しみください。
vol.4 月を見つける
文・平松洋子
こちらから距離を縮めて、おずおずと探しにゆくときからして好もしい。肩透かしはありませんと約束されているからかもしれないけれど。
栗蒸し羊羹の話である。
切り分けるときは宝探しの心境だ。竹皮の包みを開くと、ひと棹の羊羹が横たわっているのだが、お宝はちゃんと内側に潜んでいる。
小豆色の表面に包丁を当て、くいっと下まで押し切ると、指に伝わってくる小さな手応え。あ、探り当てたなと思い、にんまり──そんな一連の遊びが、栗蒸し羊羹にはある。
なめらかに光る小豆色の断面に、あでやかな金色の月。くっきりと輪郭の立った図柄のコントラストに目を奪われるのだが、毎度愛でたくなるのは、ひと棹の最初から最後まで一度たりとも同じ図柄が現れないからだ。
仕込まれた偶然。
小豆色と金色。
なめらかさと凝縮感。
流動体と粒。
対照的な要素のあれこれが素朴なひと棹のなかに成立している。しかも、とても素朴な風情で。栗蒸し羊羹を相手に、こんなふうに反応するのは気恥ずかしいけれど、仕方がない、ものの弾みでここに告白してしまった。
小皿にのせ、黒文字で切り分けるときまで楽しさは持続する。どの幅、どの位置あたりに当てよう。一瞬、得意でもなかったのに、高校二年のころ習った数学の幾何の教科書など思い出したりもして苦笑い。
栗の季節になると、さあ今年の秋も栗蒸し羊羹だなと身を起こす。ほかの季節にも栗蒸し羊羹を食べることはあるけれど、やっぱり月のきれいな秋がいい。
平松洋子エッセイスト。主に食文化や文芸をテーマに執筆活動を行う。『買えない味』でドゥマゴ文学賞受賞。講談社エッセイ賞を受賞した『野蛮な読書』や『洋子さんの本棚』(共著)など、近年は本に関する作品も多数発表。近著に『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』(共著)、『下着の捨てどき』などがある。
表示価格はすべて税込みです。