誰もが認める賢い好青年、中村太地王座。
王座戦での涙の理由から、目指す棋風まで
『家庭画報』2018年1月号(12月1日発売)での将棋特集との連動企画、「将棋愛(eye)」。1月5日、将棋界初となる羽生善治二冠の国民栄誉賞受賞が決定しました。将棋への注目がますます高まっているなかで送る第三弾。羽生善治二冠、佐藤天彦名人に続いてのご登場は、9月~10月に行われた王座戦で羽生二冠から見事、王座を奪取した中村太地王座になります。
将棋の世界には、竜王や名人、王座などのタイトルを目指して戦う「タイトル戦」があります。それぞれ詳細は異なりますが、基本的には160名強の棋士たちとの戦いを勝ち抜いた1人がタイトル保持者と対局。勝ったほうの棋士がその年のタイトル保持者となります。ですから、「タイトル戦挑戦者」となるだけでも大変なことなのです。
5年前、中村六段(当時)は、初めてタイトル戦(棋聖戦)の挑戦者になりましたが、タイトル保持者だった羽生棋聖に3連敗しました。4年前にタイトル挑戦者となった王座戦でも、羽生王座に2勝3敗で敗退することとなりました。
その後3年間、タイトル争いに絡めない時間が続きます。その間、藤井聡太四段など年下の棋士の活躍が目立ってきたことから、1988年生まれで20代後半となっていた中村王座は、「タイトル戦に絡めないのが普通になってきて、このままになってしまうのかな」と思うこともあったといいます。
そして今年、中村六段(当時)は3度目のタイトル挑戦権を手にします。王座戦でした。当時の王座は、羽生二冠。3度のタイトル挑戦もまた、同じ相手との対局となりました。4年前を振り返り、中村王座は、できうる限りの準備をして対局に臨みます。
先に3勝したほうがタイトルを獲得できる王座戦。2勝1敗で迎えた第4局で、中村六段は王座を、念願のタイトルを、とうとう手にしました。
苦しかった3年間をたしかに結実させた中村王座(現・七段)にうかがったなかで、『家庭画報』本誌に掲載しきれなかったものからいくつかをピックアップしました。中村王座の素顔が、少しでも伝わればと思います。
―小さい頃は、どんなお子さんでしたか?
「小学校低学年の頃は積極的で、自分で手を挙げて学級委員や学芸会の主役、リレーの選手をやったりしていました。サッカーも本当に好きで、地元のクラブチームみたいなものに入っていたんですけど、3年生の頃にどちらかを選ばなきゃならなくなって、結構悩みましたね。でも将棋のほうが少し好きだったのかなあ。運命的だったのかもしれないけど、将棋を選びました」
2017年10月11日、横浜ロイヤルパークホテルで行われた王座戦の第4局。初のタイトルを手にしての取材中、こみ上げてくる思いを抑え、涙を必死にこらえようとする中村王座の姿に思わずこちらももらい泣きをしました。