〔連載〕京都のいろ 京都では1年を通してさまざまな行事が行われ、街のいたるところで四季折々の風物詩に出合えます。これらの美しい「日本の色」は、京都、ひいては日本の文化に欠かせないものです。京都に生まれ育ち、染織を行う吉岡更紗さんが、“色”を通して京都の四季の暮らしを見つめます。
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深まる秋を代表する木の実で染め上げる、赤みを帯びた薄茶色
文・吉岡更紗10月に入ると、松茸や栗、さつまいもなどの作物が並ぶようになり、長い夏がようやく終わりを告げ、本格的な秋の到来を感じることができます。この季節になると、工房の庭に植えられた木々の青々としていた葉の色が、少しずつ黄色に色づきはじめ、柘榴や胡桃の木にはたくさんの実がなり、日に日に大きくなっているのがわかります。
胡桃は乾燥させたものが売られているので、よく口にしていらっしゃる方も多いと思いますが、それは実そのものではなく、実の中にある種の殻を割って得られる「仁(じん)」という部分です。おそらく胡桃の実本体をご覧になった方はそれほど多くないのでは、と思います。
写真/紫紅社大きな葉を広げた胡桃の木のなかで、その実を見つけるのは大変なのですが、よく目を凝らすと、4つから8つほど緑の実が固まってなっているのがわかります。日を追うごとに熟してゆき、その実が1つずつ下に落ちてくるのですが、時折、工房の一角にあるトタン屋根に当たることがあります。実がとても堅いためか、その音があまりに大きいので、来客があるときには大変驚かれますし、私もその音がする度に「秋が深まっていくのだな……」としみじみ思います。この胡桃の実を煎じると、やや赤みのある薄茶に染まります。奈良時代に遺された『正倉院文書』にも「胡桃紙」という記述があり、紙を染めるのにも使われていました。
写真/小林庸浩栄養価の高い胡桃は、いにしえから食べられていたといわれており、縄文時代の青森県の特別史跡三内丸山遺跡でも、胡桃の種の殻がたくさん出土しています。中には、樹皮を使って編まれたポシェットのような形をしている袋の中に、胡桃の実が入ったまま発見されたものもあります。この時代は狩猟採集をして食料を調達していますので、実を見つけるとその編み袋に、たくさんの胡桃を次から次へと入れたと考えられます。
胡桃には種を守るためにタンニン酸といわれる渋が蓄えられており、実を拾うと、茶褐色の粘りのある液が手についてなかなか取れません。当時の人々は、詰め込まれた実が重なりあって、その粘りのある液が編み袋につくことにより、茶色に「染まる」ということを見つけたのかもしれません。そして、その色を持つ粘り気のあるタンニン酸には繊維を丈夫にする効果と耐水性があることも、生活を営む中で体得していったのではないでしょうか。
染織の技術は絹と共に中国から伝わったもの、とされていますが、それが伝わる前から日本に暮らす人々も朱や弁柄などの顔料や、煮炊きする際に土器についた煤から墨のようなものを使い彩色するということを行っていました。木の実のもつタンニン酸の色素を用い繊維を彩るということも、同じ頃から始まっていたのかもしれません。
吉岡更紗/Sarasa Yoshioka
「染司よしおか」六代目/染織家
アパレルデザイン会社勤務を経て、愛媛県西予市野村町シルク博物館にて染織にまつわる技術を学ぶ。2008年生家である「染司よしおか」に戻り、製作を行っている。
染司よしおかは京都で江戸時代より200年以上続く染屋で、絹、麻、木綿など天然の素材を、紫根、紅花、茜、刈安、団栗など、すべて自然界に存在するもので染めを行なっている。奈良東大寺二月堂修二会、薬師寺花会式、石清水八幡宮石清水祭など、古社寺の行事に関わり、国宝の復元なども手がける。
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更紗さんのお父様であり、染司よしおかの五代目である吉岡幸雄さん。2019年に急逝された吉岡さんの遺作ともいうべき1冊です。豊富に図版を掲載し、色の教養を知り、色の文化を眼で楽しめます。歴史の表舞台で多彩な色を纏った男達の色彩を軸に、源氏物語から戦国武将の衣裳、祇園祭から世界の染色史まで、時代と空間を超え、魅力的な色の歴史、文化を語ります。
協力/紫紅社