毎日を心豊かに生きるヒント「私の小さな幸せ」 いまや日本各地に4000か所ほどある、こども食堂。「こどもが一人で食べに来られて大人たちとも交流できる場所を作りたい」。近藤博子さんが熱い想いで始めた元祖「こども食堂」は、東京・東矢口の人々にとって最強にして最高の応援団です。その活動の根底には亡き母への想いがありました。
一覧はこちら>> 第8回 近藤 博子(「だんだん ワンコイン こども食堂」代表)
近藤さん(左から4番目)とボランティアの仲間たち。食堂に通っていたたかちゃん(右)とたくとくん(左から2番目)もお手伝い(撮影時のみマスクオフいただいた)。近藤博子(こんどう・ひろこ)1959年島根県生まれ。だんだん ワンコインこども食堂代表、気まぐれ八百屋だんだん店主。歯科衛生士。「寂しさを感じたり、困っている人たちに寄り添いたい」想いからの多彩な活動が認められ、2019年4月農林水産省第3回食育活動表彰農林水産大臣賞受賞。「自分が生まれ育った街のご近所さんのように、ちょっとお節介だけど、困った時にはいつも手を差し伸べてくれる。そんな拠り所でありたい」
「お帰りなさい!」。私は、こども食堂に来てくれた皆さんをこの言葉でお迎えします。
メニューは手作りの家庭料理で野菜たっぷりのワンプレート。大人は500円、こどもは「ワンコイン」です。こどもも有料なのは、お金を払って堂々とこどもが来られる食堂だとわかってほしいから。
“焼き野菜のカレーがけ”弁当。八百屋の店名“だんだん”は島根県の方言で「ありがとう」の意味。こども食堂の運営費は、「だんだん」で開催する英会話や寺子屋など(コロナ禍のため休止中)の参加費1人500円から計上される会場使用料150円のほか、個人や企業の寄付などで賄われている。今はコロナ禍のため予約制で、毎週木曜日17時半から19時にどんぶり弁当をお渡ししています。みんなで食事できないのは寂しいですが、お弁当を渡しながら一対一での会話もできるので、個のつながりが深まった気もしています。
本日のお弁当は66個。島根の実家が農家だったことや歯科衛生士の仕事を通じて食の大切さを感じていた折、知人から無農薬野菜や自然食品の販売を頼まれたのを機に、2008年「気まぐれ八百屋だんだん」を開店。
たまたま買い物にいらした近隣の小学校の副校長先生から、「お母さんの体調が悪い日は、給食以外の食事をバナナ1本で過ごすことがあるこどもがいる」と聞き、大きな衝撃を受けました。同じ地域にいるのに何もできないことが切なくて。
2020年春、臨時長期休校中の平日は、近隣6小学校の就学援助家庭に給食代わりのお弁当を毎日提供。「だんだん」には仕入れている野菜やお米もあるし、元が居酒屋の建物だからキッチンもある。できることからやろう! と思い、食品衛生責任者の資格と飲食店の営業許可を取得。12年8月末からこの場所で「こども食堂」を始めたのです。
母さんがいてくれたら。その想いが活動の原動力
他者に寄り添う行動の原動力は何なのか、皆さんによく尋ねられます。初めてお話ししますが、それにはきっと中3の時に母が自死したことが影響しているのだと思います。なぜ逝ってしまったのか。母の死はいまだに受け入れられず、一生忘れることはありません。でも、すべてはその時の自分に必要な出来事なのだとようやく思えるようになりました。
こどもにとって母親は大切な存在です。就職、結婚、出産、子育て……。「母さんがいてくれたら」と思ったことは数限りなくあります。だからこそ、地域のこどもたちのすべてを受け入れて寄り添いたい、という想いが強いのかもしれません。
こどもたちの寄せ書きは宝物。お金はあっても愛情に飢えている子、いつも一人でご飯を食べなければならない子、毎日精一杯頑張っている親。
そんなこどもや大人たちに、隣のおばちゃん、おじちゃんが「寄ってご飯を食べていきなよ。いつでもおいで」と声をかけて手を差し伸べる。みんなの笑い声が響く場所が当たり前のようにある街が私の幸せであり、理想です。
近藤さんの書。「何事もなく一日を過ごせるのが一番。家族も心の支えです。私の人生、凪ではなかったけれど、辛い経験は糧となり、困りごとには誰かが救いの手を差し伸べてくれました。今は恩返し中なのでしょうね」。 撮影/鍋島徳恭 背景スタイリング/阿部美恵 取材・文/小松庸子
『家庭画報』2021年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。