一年のめぐりの中で、目覚めると前日とはまったく違う空気になっているという日が何度かあります。
窓を開けると「ああ、季節が動いたな」と感じる、光や空気のバランスがガラッと入れ替わったような朝。
天候が変われば、自分の肌感覚もちゃんと変化する。今の季節であれば、身体がこれまでとは違う乾燥の仕方を始めるので、おのずと水分の取り方も変わります。夏の朝一番は前日の湯冷まし水だったのが、この季節は沸かしたての湯で紅茶をたっぷりいれたりしている。特に何か考えているわけではなく、身体の欲するままに動いていると自然にそうなっていきます。
そして、のど越しの良い葛菓子やゼリーよりも、少しボリュームのあるほっくりとした菓子が欲しくなる頃に、栗や芋などの秋のめぐみが旬を迎えてくれます。
宵闇の好日居。明かり落とした空間が気持ちを落ち着かせてくれる。味覚だけではありません、光への感覚が変化するのもこの頃。いにしえには夏の夕涼みに篝火(かがりび)を焚くという習慣があったようですが、個人的には秋の深まりとともにあたたかな火の光が恋しくなります。夜が始まる時間、開け放った窓から涼やかな風が入ってきて、空気が澄んでいるのを感じる。そんな宵にはすぐに電灯をつけず、ろうそくを灯して少しだけ安座。真っ暗になる前の、闇がゆっくりと広がってゆくさまを感じる一瞬。
そんな季節を迎え、今宵は新月。茶の女神を訪ねることにしました。
“茶の女神” 晴美さん
茶の女神とは、中国喫茶「好日居」のあるじ横山晴美さんのこと。京都東山山麓にある好日居は、建築士でもある晴美さんが30年以上人が住んでいなかった古民家をリフォームしたことがきっかけで、息を吹き返した美しい場所。
お茶の準備が整った好日居の大テーブル。訪ねるとろうそくを一つ灯してくださった。落ち着いた色の土壁、大テーブルやカウンターの木材、奥の間の床に敷かれた大谷石など、吟味された素材で作られた空間は、自然と繋がっているような心地よさがあります。ここでは通常の喫茶のほか、お茶の世界を満喫できる茶教室や、いけ花などの特別イベントが行われたり、ギター教室や金継ぎ教室の場としても提供されていて、静かに人々が集う場となっています。
晴美さんとはお互いの日常の合間に、時折近くの山散歩をご一緒する仲で、この連載でも
昨年8月に早朝散歩のお茶時間について書いています。好日居でお茶をいただくこともあるのですが、季節によって桃の香りのする烏龍茶だったり、菊花茶だったり、時にはこちらが持参した茶葉をいれてもらったり。どのお茶も晴美さんがいれてくださると、茶の精がふわふわと身体の中に入ってゆくような感覚がするので、尊敬を込めて「茶の女神」とお呼びしているのです。
お点前が始まる。いただいたのは桂花(金木犀)烏龍茶。お茶が入るのを待つのも楽しい。いつもおいしいお茶をいれてくださるので、それに合うとよいなと想像しながら、季節の恵みや菓子などを持っていくのですが、今回は銀杏(ぎんなん)を女神にお供え。
自身の散歩の途中に出会う大イチョウにたわわに実った銀杏ですが、樹の下で一息ついていると、パシパシと音を立てながら、わたしの上にいくつも降りかかってきました。誰も拾っている気配なく、この秋はわたしがその恵みを少し頂戴することになりました。収穫すぐの銀杏は翡翠のように美しい緑の実が隠れていて、目にも口にも幸せをもたらします。
「あ、銀杏! 炒ろうか」と晴美さん。
「え、お茶と合います?」とわたし。
「大丈夫よ、今日のお茶と合うと思うわ」と、早速キッチンで炒って、お茶と一緒に出してくださいました。
秋の恵み、銀杏と金木犀。いれてくださったお茶は、金木犀の花が入った台湾の烏龍茶。秋の宵、少し乾きぎみのわたしの細胞たちがこぞって女神の茶を飲み干してゆきます。
自然とつながるような道具で組んだ茶箱
とばり越しに見える奥の間では、わたしが茶箱を使えるように大きなトルコの盆が置いてありました。
大谷石が敷かれた奥の間。さらにその奥には緑豊かな庭がある。晴美さんのお茶をひとしきり味わった後、今度はわたしが茶箱を広げて、抹茶を点てることに。
灯火のもとで鈍く光を放つ大きな金属の盆の上に、持参した茶箱を置き、息を調えます。茶箱はあえてカジュアルに、去年の山散歩で中国茶用の道具を詰めていた籠に、今日は抹茶の道具を仕込んできました。
草を編んだ茶籠に抹茶の道具を詰めて。今日は無意識に自然とつながるような道具を組んでいる。オランダの小碗はもともと紅茶のために作られもので、ふだんから愛用しているお気に入り。そこに現代作家の道具を合わせました。光を感じたいときによく使うのが木製の茶杓で、表面に金箔が張られています。
晴美さんは茶杓に反応、少し金箔が剥がれた風合いを愛でながら「これ使っているうちにこんなふうに?」「いや、最初から」などと会話をしながら、お茶を点てます。
トルコの大盆を点前座に茶を点てる。草の器に塩芳軒の干菓子を盛って。菓子は気に入りの店に生菓子を求めに行ったのですが、どうも今宵の気分に合うものに出会えず、ふと見ると満月に兎の干菓子があったので、急遽そちらへ変更。そうそう、いつも予定調和ではないところもまたお茶の楽しみなのだから。
生姜味の満月を二人でおいしいおいしいと味わいつつ、新月の宵のひとときを過ごします。ああ、秋はいいな、風も、光も、茶も、人も、透き通るようで、するするとほどけてゆくような時間。昼と夜の交わるひととき、秋の宵のお茶時間です。