例えば“妻と離婚もできないけれど、君と別れるのも嫌だ”とか。“結婚することはできないけれど、ずっと一緒にいたい”とか。あるいは、“お金にはならないけれど自分が作ったお菓子を喜んでくれる人がいるから、これからも続けていくつもり”とか。
形を得ることができないのなら頑張っても仕方ない、無駄な時間を費やすのもバカバカしい。そう思ってしまうのが普通の考え方だし、もっともだと思います。もしかしたら自分(ジョニー)も少なからず原稿にそう表現していたかもしれません。
しかし2022年上半期は、濃密な時間を過ごすことで変容していった自分自身の心や身体を無理に抑える必要もないような気がするし、もう二度とこの瞬間や輝きに出会えないとしたら、現実的な理由だけで消去してしまうのもまた違うのかもしれないと思い直せるような気がします。
もっと他の関係性や繋がり方はないか模索したり、無理に切らなくても大丈夫な間柄や距離感を徐々に形成したり、必ずしも形を得ることが正しいとは限らなくなった風の時代、もしかしたらそうやって考えるのもまた一つの生き方なのかもしれません。
少なくとも互いに思い合っている感覚を感じ取れるなら、別にはっきりさせなくてもいいような気がします。