スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 クルマの世界ではかなりのマニアとして知られる野村先生。病院の1階には愛情込めて調整されたスーパーカーが美しいボディを煌めかせています。そこに一風変わったフォルムのクルマが一台。それが動物たちの命を水難から救うために用意した水陸両用車「アンフィレンジャー」です。こんな動物病院ほかにある!?
一覧はこちら>> 第14回 眠れ、水難救助艇
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
全てのものは土に還る。それは生物でも静物でも同じことだ。
地方をクルマで走っていると、農道の片隅に野ざらしで放置された古い車両を見かけることがある。雑草に覆われたそれらの多くは長年にわたる自然界の化学的洗礼を受けて塗装が剥げ、赤錆にまみれ、部品が外れ、車体骨格が崩壊して傾いている。やがて全てのパーツは各々の分解過程を経て自然に戻るのだ。“夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡”……。
かつて新車だった頃にオーナーを乗せてキラキラと輝いた時を過ごしたであろうこれらの今の姿に“わびさび”を感じるマニアがいる。彼らは消滅過程にある“彼女”たちを“草陰のヒーロー”と呼ぶ。ここで皆さんが今疑問に思った事柄を解説しなければならない。
女性蔑視ではなく、男性にとってクルマは色々な意味で女性である。それも溺愛すべき“特別な女性”だ。クルマはフランス語やイタリア語では女性名詞でもあり、名称も“ジュリエッタ” “フェアレディ”など女性的なことが多い。だからクルマの三人称は“彼女”なのだ。
そうなると、クルマはヒロインとなるはずだが、「散り際ですらカッコいい!」と感動する男の心には未来の自分の死に様を重ねて、“雄々しかったヒーロー”と理解したい心理が働く。男の人生は戦いと伸(の)るか反(そ)るかの博打、そして死ぬ覚悟の連続なので、大抵の男性は常に己の厳かな末期をイメージしているものだ。
つまり男にとってクルマは恋人であり自身でもある。私の場合はさらに“生き物”としての認識がある。人類のつくった機械の中でも、ここまで生物的なものは他に見当たらない。
地球上の物理法則の中で走り、曲がり、止まる。その構造が生き物の身体に近くなるのは当然のことだ。すなわち、給油口は口、燃料ポンプは心臓、ガソリンを気化させるキャブレターは肺、動力を生み出す内燃機は筋肉だ。「生き物に車輪はない」と言う人がいるが、実はある。人間を含む足のある生き物は“円運動”で着地して推力を得ているのだ。