大勢の専門家たちが夢を胸に膨大なエネルギーを注ぎ込んで誕生し、羨望、賞賛、嫉妬にまみれながら使命を遂行するクルマたち。こんな機械には魂が宿って当然であり、やがて意志が芽生え、愛してくれる者と心を通わせることがある。
その“彼女”は最果ての地の古びた倉庫で、巨大な軀体を傾け、深い眠りにつこうとしていた。満身創痍の車体のコーションプレートを手で撫でると、堆積した埃の下からクルマらしからぬ刻印が現れた。
“SEA WATER RESISTANT”
私は驚いた。「耐海水?」
倉庫番が言った。
「これは西独で官公庁向けに82台造られた水難救助用の水陸両用車の1台です」
「現役を退いてからここに?」
「水に浸かったまま長く係留されていたらしくこの有様です」
長年納屋で眠っていた古いクルマを“BARN FIND”と呼び、大層な値打ちが付くが、これは“草陰のヒーロー”よりも劣化が進んだ鉄屑そのものだった。
酷い状態だなあと思いながら矯(た)めつ眇(すが)めつしていると、かすかな声がした。
「私をもう一度海に……」
「この娘はまだ死んでいないよ!」
「へっへっ……お買い上げしますか?」
「書類が揃っているなら」
「あります。設計図もセットです」
値段は猛烈に高価だった。クルマに特別な愛情があることを知られてしまったためだ。しまったと思った。これと似たようなことは我が病院でも頻繁にある。といっても立場が逆で、「先生は犬が大好きなのだから、私の犬が死んだら悲しいでしょう。私の犬に死んでほしくないのならば、格安で手術をしなさい」というものだ。
かくして手に入れた水陸両用水難救助艇(のスクラップ)、その名はアンフィレンジャー。大戦中に数多くの軍用水陸両用車を手がけたハンス・トリッペル博士が人生の最後に手がけたとされ、その設計は実に緻密で見事なものだ。製造はRMA社。現在でも海底ケーブルや機械の水密構造体を手がけるドイツの会社だ。国内への輸入は日商岩井が行った。
耐塩アルミのモノコックボディは、一見メルセデスのゲレンデヴァーゲンに似ているが、実は非常に特殊な仕組みになっていて、エンジンルームは完全に密閉され、ガソリンの燃焼に必要な空気は各ピラーのスリットから吸引されるが、船として走行する時、水をエンジン内に取り込まないように“水 ─ 空気分離装置”を経て空気だけが船底の浮力チャンバーに蓄えられ、そこからエンジンの気化器に到達する。
性能的にも申し分なく、陸上では四輪駆動で時速150キロで走るオフロード車だが、電磁クラッチを切り替えて動力を車体後部のスクリューに伝達すれば、たちどころにモーターボートになって海上を15ノットで進む。万が一転覆しても起き上がりこぼしのように回転して体勢を立て直す不沈艦でもあり、崖から海に飛び込んで潜水状態になったとしても、短時間であれば浮力室の空気を使って燃料を燃焼させるので活動が沈黙することはない。
電話帳のように分厚い設計図を熟読することでそれらの素晴らしい仕様が理解できたのだが、問題は機体のレストアと機関の修理だった。これまでにも数台のイタリアのスポーツカーを復活させたことがある私は何とかする自信があったが、手を付けてみると中々に手強く、大まかな修繕に2年、その後は使いながら問題を解決していくやり方で合計15年の歳月を費やしてしまった。
法律上クルマでも船舶でもあるため、車検とは別に“船検”を受けてそれに合格する必要もあった。水難救助艇という特殊なカテゴリーなので、タンカー並みの大がかりな検査を受けなければならず、これも困難を極めた。
船には“さざなみ”などの固有名詞があり、我が艇は書類上に“アンフィレンジャー三号”と記されているものの何か味気ないので、“ハヤブサ”の名を付けてナンバープレートも8823を申請した。半世紀前のテレビドラマ“海底人8823(はやぶさ)”をイメージしたのである。“誰の耳にも聞こえない3万サイクル音の笛”という主題歌が聞こえてきそうだ。
少年向け番組の話が続いて恐縮ではあるが、「宇宙戦艦ヤマト」をご存じだろうか。汚染された地球を救うため、放射能除去装置を受け取りに14万8000光年先のイスカンダル星に勇者たちが旅立つSF戦記である。
侵略者の目を避け、秘密裏に九州沖に沈んだ戦艦大和の機体を宇宙戦艦に改造するのだが、地中から地面を割りながら力強く発進するそのシーンは血湧き肉躍る。人やモノが不死鳥のように甦る物語は男のロマンであり、特に後者の場合はスーパーウェポンであることが望ましく、それを用いて正義の旗を揚げ、大義の下に力をふるい、弱きを助けることは男の憧れだ。
ではこんな“兵器”を手に入れたお前は何をするのかと問われれば、当然のことながら「動物たちを助けるのだ!」となる。