“ワルツ王”ヨハン・シュトラウス2世をウィーンに訪ねて
音楽の都で時代の寵児となったヨハン・シュトラウス2世。世界中に知られている名曲とその華麗な生涯を追い、ワルツのリズムに乗って、ゆかりの土地へ旅してみましょう。
市立公園(Stadtpark)のヨハン・シュトラウス2世像。エドムント・ヘルマー作。完成の1921年当時は金色で、黒色に変わり、30年前に金色にもどった。後ろはドナウの妖精が表されている。ウィーンの街を歩けば、今でもどこからかワルツの調べが聴こえてきそうな気がします。街がどんなにモダンに変貌しようとも、この街に溶け込んでいるワルツの親しみやすさと、そのメロディの美しさに人々は和やかな気持ちになってくることでしょう。
新年の零時になるとシュテファン大聖堂の鐘の音が大きく響き、テレビやラジオからは「美しく青きドナウ」が流れ、人々は元旦を寿ぎます。
第二の国歌とまでいわれているこの曲は、ブラームスが「自分の曲でないのが残念だ」といったほど魅力的でした。朝のラジオを聞いていても、数々のワルツ曲が普通に耳に入ることが多く、人々の生活にさりげなく結びついています。
このようなウィンナー・ワルツの音楽が生まれた背景には、19世紀の大きく変化していく時代がありました。
ヨーロッパの中枢に長きにわたって君臨してきたハプスブルク帝国。支配下の国々の民族運動も抜き差しならぬところまできて、一触即発の不穏な世情であり、底辺では第一次世界大戦に向かって時代が大きく動いていました。その崩壊前の最後の輝きのように、ウィーンではゆっくりと新しい芸術の華が開いたのです。