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味の「名家」のお正月物語。いつまでも大切にしたいお正月の風景

2021.12.20

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寿ぎのしつらいと料理にみる「味の名家」のお正月物語 第1回(全4回) 日本人は昔から、飲食するものを神饌として神に奉げ、感謝し、祈るという風習を大切に守ってきました。お正月のおせち料理やお雑煮はその代表的なものといえます。今回ご紹介するのは『家庭画報』1997年1月号に掲載した「味の名家」のお正月迎え。伝承の技術、伝来の味を守る家の新年のしつらいや料理に息づく新たな年を迎える祝いの形、厳粛ながらも晴れがましい心。日本人がいつまでも大切にしたいお正月の風景をお届けします。

昔のままに造る「醤油」がおせちの味の決め手
加納家(角長・かどちょう)
和歌山県湯浅町


昔のままに造る醤油がおせちの味の決め手

加納家では醤油造りに使われる吉野杉の大樽に、1年の感謝を込めて興国寺のお札とお供えの餅飾りが一つずつ置かれる。


昔のままに造る醤油がおせちの味の決め手

和歌山県湯浅町で江戸時代より醤油を造り続ける加納家の正月迎えのお座敷。床には鶴の軸が掛けられ、松が生けられる。

元旦は刺し身に“にらみ鯛”が決まりもの


鎌倉時代、後に紀伊国由良の興国寺の開山となる覚心(法燈国師)は、修行のため宋に渡りました。中国五山の一つ、径山(きんざん)興聖萬壽禅寺で修行する中で、そこで造られていた径山寺味噌の醸造法を会得し、後年湯浅に戻りました。

現在では金山寺味噌と呼ばれるこの味噌造りの過程で樽底に沈殿した液体が、醤油の起源とされています。

やがて江戸時代になると紀州藩のお仕入れとして湯浅の醤油は特別の庇護を受け、輸送船は湯浅から京都、大坂へと醤油を運び、販路を広げていきました。文化・文政の時代には約1000戸の湯浅の町に醤油屋が92軒あったといわれています。

天保12(1841)年創業の「角長」は、醤油造りは麹造りからという往時の製法を今も守る唯一の蔵。2021年に創業180年を迎え、現在は6代目の当主、加納 誠さんが、7代目となる長男の恒儀(つねのり)さん、長女の夫である岡部隼人さんとともに醤油造りを行っています。

昔のままに造る醤油がおせちの味の決め手

5代目の加納長兵衞さん、その夫人の故・真佐子さんを囲んで、左から7代目となる恒儀さん、6代目当主の誠さん、左起子さんご夫妻、長女の智子さん。

加納家にとって、12月は醤油の仕込みをしながら出荷をするという猛烈に忙しい時期。休みは元日のみで、2日から店も開きます。

お正月のことはすべて姑に習ったと話していたのは、5代目加納長兵衞さんの奥さま、故・真佐子さん。「元日には刃物を使わないのが決まりで、元旦に『濁(にご)り醤(びしお)』でいただくお刺し身も前夜に切って皿に並べておきます。“ちゃりっこ"と呼ぶ生の小鯛を添えるのも結婚以来のことです」。

昔のままに造る醤油がおせちの味の決め手

お膳の向こう側に置かれる小鯛は湯浅では“ちゃりっこ"と呼ばれている。生のまま皿に盛られ、元日の朝には眺めるだけの、まさに“にらみ鯛"。

お座敷に家紋の入ったお膳を並べ、一家揃っての加納家のお正月迎えは、今も昔も変わりません。

元旦 刺し身膳


昔のままに造る醤油がおせちの味の決め手

前夜に切ったまぐろの刺し身と刺し身用醤油の「濁り醤」、小豆のせご飯、吸い物は昆布とかつおだしの醤油仕立てで、ごぼう、にんじん、しらす、三つ葉が入る。中央になますとかずのこ、そして重箱からおせちを好みで取り分けていただく。

下のフォトギャラリーから詳しくご覧ください>>

撮影/浅井憲雄 取材・文/萬 眞智子
『家庭画報』2022年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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