セーラー服と機関銃から40年
「昔に比べると、演技や歌の準備に費やす時間も増えました。でも誰かに望んでもらえると嬉しくて。いくつになってもニコニコして仕事をしているんだろうなあと思います」 コート/マックスマーラ ワンピース/スポーツマックス(ともにマックスマーラ ジャパン)薬師丸ひろ子(やくしまる・ひろこ)東京都出身。1978年14歳で『野性の証明』にて女優デビュー。1981年歌手デビュー。『Wの悲劇』『ALWAYS 三丁目の夕日』ほか映画・ドラマの出演多数。歌手デビュー40周年に“薬師丸ひろ子YouTubeチャンネル”を開設。
引っ込み思案だった私が今もここにいる不思議
──主演映画『セーラー服と機関銃』の主題歌でデビューされたのが1981年11月21日。歌手活動40周年を迎えられましたが、振り返っていかがですか?
薬師丸ひろ子さん(以下薬師丸) デビューしてからこんなに長く仕事をしていく設計図を自分で書いたことがないのに、本当によくここまで続けてこられたなという気もします。今、ここにこうしていること自体がすごく不思議で。私は子どもの頃から引っ込み思案で、全然前に出ていけないタイプだったんですね。150人ものかたがたがいる現場でその先頭に立って「皆さん、行きますよ!」と旗を振るのはすごく苦手でした(苦笑)。
でもここ最近、自分に無理せず楽に仕事ができていると感じています。今の自分は、引っ込み思案だった頃に非常に近いのですが、個性として皆さんに受け止めていただける年齢になってきたのでしょうか。
薬師丸さんを時代の寵児へと押し上げた主演映画『セーラー服と機関銃』の主題歌で歌手デビュー。作り手の想いを大切に、今も全曲、原曲キーで歌い続けています。──楽になってきたのはなぜでしょう。
薬師丸 ドラマのチームや監督など、何回か仕事をご一緒してきた仲間たちとのご縁が続いたことが、自分にとってとても嬉しくて。そういう人たちから、たまに必要とされることがありがたいんですよね。演じたときの私から出てくるものを面白いと感じていただけるなら、人間個人の私としてはこのままでいいのかなと思えるようになりました。
高倉 健さんの背中を見て俳優の仕事を学べた幸せ
ニット スカート/ともにブルネロ クチネリ(ブルネロ クチネリ ジャパン)「ストイックで優しく、みんなから尊敬される高倉 健さんに大きな影響を受けました」── 薬師丸さん
──女優として活動されて44年。影響が大きかった出会いはありましたか?
薬師丸 デビュー作の『野性の証明』(1978年10月7日公開)で日本映画界のスター、高倉 健さんを最初に知り、ご一緒させていただけたことはとても大きかったと思います。俳優とはどのような仕事か、同じ目標に向かって作品にかかわる仲間の中で自分がどうあるべきか、みんなが楽しんで仕事ができるためにどういった環境を作ることが大切か。13歳の私に見せてくださいました。
――いちばん最初に本物のスターに出会われたんですね。
薬師丸 はい。時代の空気感をまとわれた唯一無二のスターでした。そして、みんなから尊敬を集めるストイックさと優しさも持ち合わせていらして。高倉さんは、スタッフの中でもいちばん若くて、走り回っているかたがたに声をかけたり、冗談をいったりされるんです。みんな、「健さんが自分を認識してくれている。頑張ろう!」と思いますよね。一人一人の想いが大きな力になることを教えていただきました。