第15回 返された犬笛
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
その見知らぬ中年女性は千代紙で彩られた箱を私に差し出すと言った。
「先生、これをお返しに参りました」
さて何だろうと開けてみると、銀色に輝く小さな笛がカチャリと音を立てて転がった。私は思わず自分のポケットの中を確認した、なにしろそれは私が50年もの長きにわたって常に携帯し、歴代の愛犬たちに使用してきた英国製の犬笛と同じ型のものだったのだ。
犬は人間には感知できない周波数の音を聞くことができるため、超音波を出す笛を使って訓練することがある。大声で声符(せいふ)による命令を出さなくても、そして視界が悪くジェスチャーによる視符(しふ)のコマンドが出せない場合でも、周囲に知られず遠くから確実に犬をコントロールできるからだ。よってこれをサイレント・ホイッスルと呼ぶ場合もある。
映画『ドーベルマン・ギャング』では、悪人たちがヒトの耳には聞こえないこの笛を使って7頭の犬を操り銀行強盗をさせた。当初ドーベルマンクラブは「印象が悪くなる」と猛抗議をしたらしいが、世の反応は「なんと利口な犬種だろう」と絶賛の嵐だったためクレームを取り下げたらしい。
「はておかしいな、あるな…」
私の長年の愛用品はいつものように内ポケットの底で光っていた。するとこの箱の中の笛はいったい……。女性の顔を見つめているうちに、忘却の丘の彼方から30年前の記憶がよみがえる。そう、やはりこんな小春日和の午後だった……。
あの日、20歳くらいの女の子が洗濯石鹸の箱を持って病院の前をウロウロしているのを見た私は、何か嫌な予感がしたので声をかけたのだった。
「よもや君は生き物が入った箱を病院の前に置き捨てようとしているのではなかろうね?」
「あちゃー、見つかっちゃいましたか……テヘペロ!」
「ふざけちゃだめだよ。そういうことをする人間は私は嫌いだぜ」
「だって踏切に死にかけの子ダヌキが落ちていたら、どうしていいかわかりません」
「たしかに西武新宿線の線路沿いにはタヌキが棲んでいるが、コレは犬の子供だよ……」
衰弱した仔犬は治療により数日後に奇跡的に復活したが、何より驚いたのは茶色だとばかり思っていた彼を洗ったところ純白の犬に変身したことだった。お見舞いに来た女の子は言った。
「可愛いね、フワフワだね。先生、私、この仔犬飼おうかな」
「飼ってくれるなら治療代はタダにするよ」
「お金とる気だったの?」
「こっちだってカスミ食って生きてるわけじゃないんだよ」
「飼います。そして治療代も払うわよ」
「いやタダでいいよ。そのかわり約束してほしい。君たちはどちらかが死ぬまで、いや、いつの日か二人が順番に天国に行ったとしても、ずっとずっと一緒にいてほしいんだ」
「犬ってそういうものなんですか」
「そうさ、たとえ世界に終わりが来ても犬と飼い主は永遠にひとつなんだよ」
「わかりました」
「よしこの子はたった今から君の犬だよ!」
人生における愛犬との出合いはこの宇宙で起こる奇跡の一つだ。異なる生物種同士にもかかわらず、心が強く結ばれる不思議。犬が飼い主に示す極上の愛は偽りも打算も裏切りも無縁であり、あまりにも純粋すぎるから飼い主もそれに応えることになる。ちなみに愛する者のために炎の中に飛び込むのは“子を思う母親”と“飼い主を思う犬”だけだ。
女の子は仔犬をリッキーと名付け、可愛がった。私は仔犬の育て方をことあるごとに伝授した。
「食事は子犬用を用いること」
「ハイ」
「食事の量は仔犬の頭くらいを目安に5回に分けること」
「ハイ」
「成長に応じて便の状態を見ながら食事量を増やすこと」
「ハイ」
「日光浴と運動を欠かさないこと」
「ハイ」
「夜は一緒の布団で眠ること」
「ハイ」
「躾は即賞即罰を心掛けること」
「ハイ」
リッキーはすくすくと成長した。彼女の“犬愛”はそのいでたちにも反映された。すなわち“ひっつめ、すっぴん、Tシャツ、ジーパン、スニーカー、腰にはベルトポーチ”の勇ましさである。これはヤンチャな子犬を真剣に育てている女性に特徴的なスタイルでもあり、ママチャリの前後に幼児を乗せ、背中には赤子をくくりつけ、さらに野菜やトイレットペーパーや紙オムツ満載のまるで動く城のような状態でペダルを漕ぐ人間の母親にも似た、一種独特の美しさがある。
やがてリッキーは筋肉隆々の素敵な成犬になった。夕日を浴びて黄金に輝くその姿は神々しく、もはや死にかけのタヌキの子に間違われたあの頃が何か別の思い出のようだった。