あれから30年経った今、あの時の笛が、リッキーを呼ぶ笛がここにある、どういうことなのだろうか。箱に入った犬笛を持ってきた中年女性が言った。
「先生、姉はいつも、リッキーと暮らしたあの頃が人生で一番幸せだったと申しておりました」
「ああ、リッキーの飼い主さんの妹さんだったのですね……」
「リッキーはあの後、結局見つかることはなく、姉はたいそう落ち込んで実家に戻ってきたのです」
「そうだったのですね。本当にお気の毒でしたね……」
ここで私は言葉の違和感にハッとなった。さっきこの女性は“申しておりました”と言ったのだ。
「あの……リッキーの飼い主さんは……お姉さまは今どうなさっていますか?」
「先月、リッキーのところに旅立ちました。癌でした」
私は驚いた。ああなんたることだろう。私が思い出すことができるのは愛犬ファッションでリッキーと一緒に笑う若き日の彼女の姿だけだ。
「先生、姉は30年間笛を吹き続けました。山ではぐれた犬が何十年も生きているわけないのにねえ……。そして亡くなる時に私に言ったのです。『先生は、いつの日か二人が順番に天国に行ったとしてもずっとずっと一緒って言っていたから……だからこれでやっとリッキーに会えるわね……私は死ぬけどリッキーが待っていてくれるから怖くはないわ。もうこの笛は必要ないから先生に返してね』。それが最後の言葉でした」
そう、どんなに時が過ぎても飼い主は犬を思い、犬も飼い主を忘れない。リッキーはちぎれんばかりに尻尾を振って飼い主との再会を喜んだことだろう。離れ離れになったとしても心は一つ。きっと待っていてくれる。必ずどこかでまた会える。それが犬の尊さでもある。
野村潤一郎(のむら・じゅんいちろう)
野村獣医科Vセンター院長。大きな水槽のゴールデン・アロワナが出迎えてくれる東京・中野の病院には、院長の腕を頼って全国から患者が訪れる。爬虫類や両生類を含む数々の動物の飼育経験から得た知識、先端的な医療技術、溢れんばかりの動物愛を武器に病に立ち向かう、小さな動物たちのまさに守護神。
『家庭画報』2022年2月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。