東京藝大で教わる西洋美術の見かた 第5回 『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』(世界文化社刊)から、泰西名画の魅力を紹介する連載。第5回はネーデルラントの画家、ピーテル・ブリューゲルの宗教画です。画面全体にちりばめられた「染み」を手がかりに、驚きの解釈が導かれます。
前回の記事はこちら>> 5.十字架を担うキリスト
佐藤直樹(東京藝術大学准教授)図1 ピーテル・ブリューゲル(父)《十字架を担うキリスト》1564 年、油彩、板、ウィーン美術史美術館大地はイエスの肌か?
画家ピーテル・ブリューゲルの経歴については、生年も含めてはっきりしていませんが、1551年頃にイタリアへ赴き、1555年頃までにはアントウェルペンに戻ったとされています。旅路で見たアルプスの風景は、《雪の狩人》(下・図2)などに反映されています。
図2 ピーテル・ブリューゲル(父)《雪の狩人(1月)》1565 年、油彩、板、ウィーン美術史美術館活動の初期には、寓話や教訓を題材にした版画の下絵を多く制作しています。ブリューゲルが油彩画に専念するようになるのは1560年前後と遅いため、彼の油彩画は、亡くなる1569年までの10年足らずに全てが描かれたことになります。
美術史研究では、描かれているモチーフひとつひとつの意味を解明することも重要です。ブリューゲルの作品にはたくさんの登場人物が描かれることが多いので、どうしてもその意味の解明に偏りがちになります。
しかし、細部にのみ注目するのではなく、遠くからの視点で作品を造形物として捉え、その構造を分析する研究を提唱した研究者がいます。それが、オーストリアの美術史家ハンス・ゼードルマイアでした。
ゼードルマイアは「ブリューゲルのマッキア(染み)」という論文で、ブリューゲルの作品を鮮やかに分析します。彼によれば、ブリューゲルの作品を距離を置いて見ることで、モチーフがまるで「染み」のように画面に散らばっているというのです。
例えば、《子供の遊び》(下・図3)を見てください。
図3 ピーテル・ブリューゲル(父)《子供の遊び》1560 年、油彩、板、ウィーン美術史美術館当時の遊びの図鑑のような作品です。様々な遊びをする子供たちが、町の広場にちりばめられています。我々は、一目見るだけで、すぐにその全体像を捉えることができるでしょうか。おそらく、我々の目は子供たちの姿をさまよって一点に集中することができないと思います。
子供たちの服の薄青色と朱色が画面全体にちりばめられて色彩の点となり、焦点を合わせにくくさせているのです。ゼードルマイアは、こういう効果をもったブリューゲルの様式を「染み」と名付けました。
こうした観察に基づく分析は、純粋な視覚体験が重要だとする画期的な方法でした。気持ちを落ち着かせて、作品から離れて見ると、町は遠近法で描かれて奥行きがあるのに、たくさんの子供たちのせいで、まるで壁掛(タピスリー)のように平面性が強調されてくるのです。
しかも、各々のモチーフは、いずれもそれ自体で完結しているため、どれもが独立してばらばらに無秩序に画面に置かれた点のように見えるのです。まさに、こうした絵画様式は「無秩序な混乱」や「混沌」を描くのに最も適していると言えるでしょう。
ブリューゲルは、文字通りの「カオス」な世界を画面全体にモチーフをばら撒いて混沌とさせることで、表現してみせたのです。