《十字架を担うキリスト》(下・図1)は宗教画の大作です。これから処刑されるイエスが、十字架を背負わされてゴルゴタの丘に行進する、いわば「受難伝」のクライマックスが描かれています。
図1 ピーテル・ブリューゲル(父)《十字架を担うキリスト》1564 年、油彩、板、ウィーン美術史美術館しかし、主人公であるイエスの姿がなかなか見つかりません。目をじっと凝らして探すとようやく、画面の中央に十字架の重みに耐えかねて手をつくイエスが見つかりました(下・図4)。
ここでイエスは、刑吏たちから侮辱を受けており、その前方には、同時に磔刑に処される善き罪人と悪しき罪人の2人が荷車で運搬されています(下・図5)。
目を凝らして探すと、画面の中心に十字架の重みに耐えかねて手をつくイエス(図4)、その前方には荷車で運搬される二人の罪人(図5)が見つかる。地面に赤い小さな斑点がちりばめられているのに注目。ウィーンの美術史家カタリーナ・カハーネは、ゼードルマイアの「染み」理論を利用することで本作品を構造分析し、新しい解釈を試みました。まず、画面全体に「赤い染み」がちりばめられていることを指摘します。
それは、馬に乗るローマ兵の赤いマントです。行進するイエスを連行する彼らは、画面全体にちりばめられています。我々の視線が、なかなか中央のイエスを発見できないのは、この赤色に邪魔されて視点が定まらなかったからなのです。
これに加えて、カハーネは、これまで誰も指摘してこなかった地面についた赤い染みに注目します(上・図4、5)。地面に小さな赤い斑点がちりばめられているのが見えるでしょうか。
あちこちに見える赤い染みだらけの大地が、イエスの肌、つまりこれから磔にされて槍で突かれるイエスの肌を象徴しているというのです。この大地がイエスの肌であることは、イエスが手で大地に触れて交流していることからも示唆されています。
すると、罪人が乗せられた荷車の車輪がぬかるみにはまって泥を跳ね返している様子(上・図5)は、まるで刃物がイエスの肌に切り込んで血を流しているようにさえ見えてきます。あちこちに見られる轍の跡(上・図1)も痛ましい擦り傷のようです。
では、一体どうして、大地がイエスの皮膚であると考えることができるのでしょう。カハーネは、《エプストルフの世界地図》(下・図6)をその根拠に挙げています。
図6 《エプストルフの世界地図》(デジタル再構成によるレプリカ、2007年)1235年頃、プラッセンブルク州立博物館中世のキリスト教的な世界観を表すこの地図をよく見ると、円の上部にイエスの頭部が、左右には手が、そして下部には2つの足が描かれています。つまり、地図に表された世界はイエスの身体そのものなのです。
ブリューゲルがこの地図を見たわけではありませんが、「世界=キリスト」というキリスト教的世界観は当然知っていたでしょう。ブリューゲルは、この世界がキリストの犠牲の上に成り立っていることを暗に示しているのです。
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