洋子さんと五島をつなぐ、母・ふくみさんの旅の思い出
志村 コロナ禍もあって、残念ながら、私自身はまだ五島列島へ行けていませんが、何度も行っている母から話を聞いたことはあります。
面白いのは、母が初めて私に五島の話をしてくれたのが、利尻島から帰ってまもなくだったことです。同じ離島へ行ったことで記憶が呼び覚まされたのかもしれませんね。今回、利尻島がきっかけでお声掛けいただいたと聞いて、不思議なご縁を感じています。
吉永 ご縁ですね。ふくみ先生はどのようなきっかけで五島へ行かれるようになったのですか?
「母から福江島の話を聞いたのは、吉永さんと利尻島にご一緒した直後。不思議なご縁を感じます」(志村さん)
志村 福江島に住んでいた鳥巣水子さんのおかげです。もう亡くなられましたが、母から染織の手ほどきを受けられ、素晴らしい染織家になられたかたです。
母は福江島で、教会建築で有名な鉄川与助さんが設計された教会を巡ったといっていましたので、吉永さんの旅と重なると思います。吉永さんは以前から教会に関心がおありだったのですか?
吉永 はい。遠藤周作さんの『沈黙』を読んでから、長崎のキリシタンの人たちが実際にどういうふうに生きたのかを知りたいと思っていました。
志村 私も隠れキリシタンの信仰に興味があり、遠藤周作さんの本もずいぶん読ませていただきましたが、迫害を受けながらも信仰を守り伝えたクリスチャンのかたがたのお話は非常に胸に迫るものがあり、作品を制作するうえでも影響を受けました。
吉永 十字架の模様が入った「クルス」シリーズなどですね。
志村 ええ。ところで、母はどこへ行っても何かを染めずにはいられない人なので、実は福江島でも染色をしたんです。養蚕農家のかたから糸を分けていただいて、島の臭木(くさぎ)の実で染めたといっていました。
吉永 そうでしたか。ふくみ先生は五島でも染められたのですね。
志村 その後、福江島から生きた繭を送ってもらって、うちで糸を引いて使っていた時期もあります。もう30年以上前になるでしょうか。