2代目のドーベルマンは広島のお金持ちの家で生まれ、両親と優しい飼い主に見守られながら育ったまん丸のおはぎのような子供だった。
現地に出向いて家を訪ね、犬を養子に迎えて親戚になる約束をした。いよいよ親犬から離す日が来た。暮らし向きが良くなっていた私は、メルセデス製の風呂場とトイレまで完備している巨大なキャンピングカーを走らせ、羽田飛行場を目指した。仔犬がウンチで汚れていた場合すぐに洗おうと思ったのだ。
あの日、リーラがいなくなってぽっかりと穴が開いてしまった私の心に、小さな仔犬がやってきてフタをした。リーラのいなくなった穴は大きかったからまだスカスカだったが幸せを感じた。かわいいおはぎに私はビオラと名付けた。巨大なクルマは陽炎が揺れるアスファルトの道をゆっくりと進んだ。
当時の病院はまだ小さくて、私は少し離れた自宅から出勤していた。リーラの四十九日が過ぎるまでビオラを自宅に連れて行くのは気が引けたので、しばらくは病院で寝てもらうことにした。
ビオラは私が新しい家族だとわかっていたから、仕事が終わって帰宅の支度をすると不思議そうに見つめていたが、なかなかに強い子で、キャンキャンと泣き叫ぶこともなく、じっと我慢の子であった。
しかしある晩にかわいそうになり、とうとう私は大荷物を抱えてビオラのいる病院に戻り、一緒に寝るべく床に布団を敷いて寝ころんだのだった。ビオラは「あれっ?」という顔をしたが、すぐに理解して大喜びで走ってきた。お尻ごと尾を振りヨチヨチと走って来るおはぎ。
「おとーたま!」
残りあと3メートル。フリフリとヨチヨチの見事なシンクロは電池で動くオモチャの犬のようだ。残り1メートル。ここで感極まった仔犬はもう一つの動く場所を始動させた。カミカミカミ……。
「あっ!」
もう間に合わなかった。ビオラは私の右のまぶたに咬みついたまま一回転して転んだのだった。仔犬は手加減を知らず、その乳歯は鋭い。ほとばしる血と激痛。目を閉じても景色が見える。私のまぶたには穴が開いていた。
自宅においてもビオラは先代を失って悲しんでいる私の事情なんか知ったことではなく、お構いなしに仔犬のヤンチャを繰り返した。こちらとしては再び教育パパになって後悔したくなかったので、もう甘やかし放題だった。
「好きにしてよし!」
念願だった自宅兼の最初の病院ビル、通称「ブラックVビル」が建った時、私はクルマのドアを開けて今まで住んでいた家に向かって大きく叫んだ。
「リーラ来い!」
生真面目なリーラは命令しないといつまでもそこにとどまってしまう気がしたのだ。もちろん膝の上にはビオラがいる。新築のカッコいい建物をさぞかしこの子はめちゃめちゃにすることだろうと思ったが、予想に反して大したことはなかった。その代わりに食欲が旺盛でウンチが多く、どんどん大きくなって女の子なのに体重は50キロを超えた。筋骨逞しく、頭も大きく腕も太く、背が低いのに横幅があった。
犬の笑顔をはじめてはっきりと経験したのはまさにこの子だった。喜びが頂点に達すると耳を伏せて目を細め、鼻にシワを寄せて歯をむき出しにし、フガフガと鼻を鳴らす。知らない人が見たら襲われると思って恐怖を感じるかもしれない。
ある日のことである。「とうさまより少し先を歩きます」と言うのでそのようにすると、前から来る人たちが一様に大きく避けることに気が付いた。この子はゴツいからみんな怖がっているのかなと思って「ビオラ」と呼べば、いつものように可愛いお顔で振り向いて「なんでしょう」と答える。「こんな犬を怖がる人のほうがどうかしてるな」と私。
ところが、喫茶店のガラスに映った我が子の顔を見て驚いた。顔をしかめ牙とベロを出し、その目は渦を巻いてまるで闘犬の様相だ。「とうさまが通るけぇ、どけちゃって!」と少し荒く聞こえる広島弁で言っているようだ。しかし「ビオラ」と呼べば「はい?」と可愛い顔に戻る。そうこうしているうちに知り合いのおばさんが来て声をかけた。
「ビオラちゃん」
我が子は「はい」と答えた、多分可愛い顔で。がその直後に「ビオラ」と私が呼んだところ、振り向いた彼女は、「どけちゃって!」の怖い顔だった。どうやらリズムを間違えちゃったらしい。 (つづく)