ヒロミさんが、慌てた調子で電話をくれたのは昨年のお正月だった。三が日が明けた頃だったと思う。
「ごめんなさい。おめでたい時に電話しちゃって悪いんだけど、サヨ子がね、大晦日に自殺しようとしたのよ」
「えっ?」と叫んだきり私は絶句した。サヨ子さんはヒロミさんの妹で、たしか75歳のはずだ。あそこは姉妹が年子で、お姉さんが76歳。
サヨ子さんには私も会ったことがある。ずいぶん前に一緒に京都へ旅行した。八千草薫さんの若い頃のような清楚な感じの人だった。黒のビロードのコートがよく似合っていた。
「それがね、大晦日の夜にね、紅白歌合戦が終わってから、いくら私がサヨ子に電話しても出ないのよ。変だなと思っていたら、あの子と親しい歯医者さんから電話が掛かって来て、やっぱり電話に出ないって心配しているの。もう仕方ないから私がサヨ子のマンションに行ったわけ。
いえ、違うのよ。死んでたわけじゃないの。それは大丈夫だったのよ。でもね、遺書がベッドのところに置いてあって、私はぞっとしたわよ」
サヨ子さんの旦那さんは3年くらい前に他界している。子供はいなかったが、経済的な不安がないように遺産はしっかり残してくれていた。
それでも、夫に先立たれた後の1年間ほどのサヨ子さんは気の毒だった。「私もあの人の後を追って死ぬ」という電話がしょっちゅうヒロミさんのところに掛かってくるのだ。その度にヒロミさんは妹の元へ駆け付けて宥(なだ)めすかしていた。
だから、長引くコロナ禍で独居の寂しさに耐えかねたサヨ子さんがついに大晦日に自殺を図ったのかと私は思った。だがよく経緯を聞いてみると、そんなシンプルな筋立てではなかった。
「ねえ、森田先生の話は工藤さんにしてなかったっけ? あ、してないわよね。じゃそこから説明する」
と言って、ヒロミさんは話し始めた。それはまさに立て板に水の勢いだった。