さて、この頃の私は芸能関係の仕事が非常に多かった。「テレビをつければ野村がいる」とさえ言われた。本業との二足のわらじは想像を絶するほどの睡眠不足を招いたが体力には余裕があった。そしてまだ40代前半と若かった私は純真だったから“どんなことでも全力で頑張れば報われる”と信じていた……。だから雑誌の取材も講演会もテレビ出演も依頼されれば何でもやった。
昼の番組はレギュラーだったし、歌って踊ることもあった。クイズのリーグ戦も準レギュラーだった。有名ドキュメンタリーの主役にもなった。さまざまな番組から毎日のようにオファーがあった。それまで地味で底辺とされた獣医師という職業にスポットライトが当たれば、優秀な人材が動物業界に流入するようになり、動物たちの幸せにつながると思い込んでいた。しかし私が愛し信頼していた人間のみなさんの反応は、好ましいものばかりではなかった。
今でこそ法が整備されつつあるが、当時はインターネット黎明期であり“正体を隠した便所の落書き”により7年以上もリンチを受けた。有名になればなるほど質の悪い患者も目立つようになった。患者が10万人に増えれば、どこにでもいる5パーセントの変な人の数は5000人になる。信頼していた人物たちが次々と私を騙した。被害総額は2億円になった。精神を病んだストーカーまで現れて5年間も私を苦しめた。とどめは視聴率が25万人の日曜朝のサンデーバラエティだった。
番組の“ファミリー”だった私は多忙のためにビデオ出演が多かったが、娯楽番組の性格上“スーパーカーに乗って現れ、動物の疑問を解決して去る”というスタイルが定着していた。それを見た“たまたま虫の居所が悪かった大物女優”が1時間にわたって私を罵り、87歳まで働いて借金を返す予定の新しい大病院ビルは閑古鳥が鳴いた。
このアクシデントに対し、テレビ局は「訴訟をするなら干す」と私を脅迫した。正に渡る世間は鬼ばかりだった。私はもう限界だった。この世にいてはいけない存在なのだと思い、毎晩頭から袋をかぶって震えた。私は死ぬ決心をした。
深夜の東名を最後の場所を求めて走った。その時、母親の言葉を思い出した。
「死ぬ時は身体を清潔にして、ご飯を食べてからにしなさい」
気がつくと、霧がたちこめるどこかの町の銭湯の前にいた。身体を洗って湯船に浸かった。同席した浴客たちが全員背中を向けて顔を見せないのが奇妙だったが、そうこうしているうちに腹が鳴った。銭湯を出ると目の前に蕎麦屋があった。
「ああ、先生いらっしゃい」
狸のような顔の夫婦が出迎えた。店内には深夜2時半だというのに3組のカップルがいた。私の地獄耳は彼らが“楽しそうに話しているフリ”をしているだけで、実はこちらを観察していることをつきとめた。よく見るとこの6人は狐のような顔をしていた。
死ぬ前は奇妙な世界に足を踏み入れるものなんだなと思いながらお代を支払って外に出ると、女将さんが追いかけてきて「これはお土産だから家で娘さんと食べてね」と油揚げの包みを渡してきた。
「娘なんかいませんよ」と言うと「あら、いるでしょうよ。黒い顔した女の赤ちゃんが」と返した。なぜイリスのことを知っているのだろう。その時私は正気に戻った。
「ああ、すっかり忘れていた。私が死んだらイリスはどうなる! 帰らないと。イリスの待つ我が家へ!」
とにかく風呂に入って腹いっぱい食べたら元気が出た。
「死ぬのはやめた!」
霧を抜けると不思議なことに所沢インターが見えた。東名を走っていたはずなのだが夢だったのかと助手席を見ると、油揚げの包みが揺れていた……。
まあそんなことはどうでもいいのだが、このような最悪の時代を私と一緒に暮らすイリスはかわいそうだった。彼女は仔犬の頃から常に私を守ろうとした。
「お前もか! お前も! お前も!おとうさんを苛める気なのか!」
誰も私に近づけなかった。
「おとうさんはね、私のおとうさんの心はね、いつも泣いているんだ!」
かわいいかわいいイリス。裏表なく私を愛してくれるこの存在があったからこそ困難を乗り越えることができた。私の精神は鉄のように強くなった。今となってはいい思い出だ。何であんなくだらないことで悩んだのだろうと恥ずかしく思う。最近は良い人たちばかりに囲まれて幸せだ。
イリスは短命だった。歴代の子供たちと同じく私の腕に抱かれてたった6年の生涯を閉じた。「おとうさん、私がいなくなっても元気でいてね」そう言いながら旅立った。