4代目のドーベルマンは初の男の子だった。船橋の名門警察犬訓練所で生まれたガッチリした体格の仔犬は、イスラエルの最高峰の犬の血を引いていた。超一流の老訓練士が言った。
「行く前に母親と散歩させてやってください」
優しそうな母犬と骨太の仔犬は暖かい日差しの下、チョウチョが飛びかう小道を歩いて幸せそうだった。その後、母犬は私の真正面に座り、穏やかな顔で言った。
「私たち犬族は、産んだ子供を新しい飼い主に託すのが慣わしです。どうか可愛がってくださいね」
「もちろんですよ。お母さん安心して」
「仔犬ちゃん、お坊ちゃまになっちゃったね」
私の巨大な黒塗りのマセラティのリアシートに座った仔犬を見て老訓練士がそうつぶやいた。
イリスには何かと心配をかけた。彼女がいなくなり、誰にも見られぬように泣きあかした私は血の涙が出ることを知った。今度こそ後で後悔しないよう愛犬のために今まで以上の努力をしようと思った。
道中、仔犬は「さらわれた」と思ったらしく神妙な顔つきになった。信号待ちで振り返ると「ひぃっ」となって、小さなオチンチンからオシッコを漏らした。
「ああ、そうか、今回はオスだったっけ。オスかぁ……」
私は仔犬にオスカーと名付けた。
故郷から離れた家に貰われてきた仔犬の不安を取り除くために、40畳の自宅の居間には床を埋め尽くすほどの新品のオモチャを積み上げておいた。オスカーはそれを見ると「うわぁ」と喜んで駆け寄ったが、エレベーターが閉まると「しまった」という顔をして扉に張り付いた。
オスカーはのんびりした性格で頭が良かったので、すぐに自分の置かれた状況を理解した。私を「とうちゃん!」と呼ぶようになるのに時間はかからなかった。
オスカーにはいつも上等な服を着せた。これは防寒、防汚、防傷の意味があるが、犬をよく知らない人たちを怖がらせないためでもある。道行く人たちが「怖い」と恐れると怖い犬になるし、逆に「かわいい」と褒めればかわいい犬になるのだ。
たとえば冬場はざっくりとした手編みのフィッシャーマンズセーターと、バーバリーのコートにエルメスの首輪といういで立ちだ。どんどん大きくなるから1か月で着られなくなるが、洋服ダンスがいっぱいになるくらい服を買い、ルイ・ヴィトンなどの高級首輪のセットは100本くらいあった。
オスカーは犬に対しても友好的で、誰とでも仲良くなった。変わっているなと思ったのは遊び方で、とにかく「お相撲」が好きだった。驚いたのは死闘のプロともいえる犬、ピットブルにお相撲を申し込んだ時だった。
「ねえねえ、おちゅもうとろう! はっきょーい、のこったのこった!」
さすがのファイターも悪意のないスポーツマンシップに圧倒されて、目が点になりながら応じていた。2頭ともに後ろ足で立ち上がり、両手でがっぷりと組みあって“のこったのこった”と押し合ったのである。
散歩中に知り合った“3か月年上”のアイリッシュセッターのおみちゃんという子は、生涯の親友となって“のこった”に付き合ってくれた。
ある日オスカーは言った。
「とうちゃん、やせっぽちだな。おいらがおとなになったらもちあがるのかい?」
たしかに強い心だけでは男は生きていけない。
「よしわかった。とうちゃんも頑張るよ」
私はガチで有名なボディビルジムに通い始めた。ストイックな性格と苦痛に対する耐性が元々筋肉質だった身体を変身させた。オスカーと共に鍛錬の毎日が始まって5年が過ぎ筋肉が25キロ増えて体重が85キロになった頃、オスカーも成熟して57キロの成犬になった。
「オスカー、我々は最強の親子だ」
「とうちゃん、おいらたちは、かっこいいせいぎのみかただぜ!」
裸になって二人で立つと、プロレスラーとその相棒の闘犬にしか見えなかった。
あっという間に10年が過ぎて、また悲しい別れが来た。
「とうちゃん、たのしかったぜ、またな!」
目を腫らしながらオスカーのオモチャを箱に片付けた翌朝、居間の扉を開けると目の前にクマの人形が置いてあった。昨夜から誰も部屋には入っていなかった。
「とうちゃん、これもだろ、おいといたよ」
オスカーの声が聞こえた。いつも明るく前向きなオスカーはそういう子だった。
今いる5代目のドーベルマンはまた男の子だ。名前はビクターと名付けた。現在2歳でまだ育成中だ。過去最高に大きな身体なので、負けぬように肉体の鍛錬も12年目にして続行している。ビクターについてはまた別の機会に紹介したいと思う。
私は常に犬たちと生き、助けられてきた。たしかに別れの時は辛いが、楽しい思い出のほうが勝るから「もう犬は飼わない」とは決してならない。もしも天国が犬のいない世界だったとしたら、私は私が死んだ時、天国ではなく犬たちが待っている場所に行きたい。