「ほらこの前話していたテレビ局の人ですけど、デートの約束に1時間も遅れるし、噓か本当かわからないけど、お財布を忘れて来たって言うんですよ。私がお茶代は払ったけど、もう会いません。そういう男って大嫌い」
忌々しそうに私が文句を並べると、森さんが「あら、なんで?」と私の方を向いて尋ねた。大きな瞳が不思議そうに瞬きしている。そして、私が答える前に彼女が喋り始めた。
「待ち合わせの場所に来るのが遅かったら待っててあげればいいじゃない。本でも読みながら。私は全然平気よ。ああ、何かあって遅れているんだなって思って、1時間でも2時間でも待っててあげるわ。お茶代? そんなの払ってあげてもかまわない。ケチなこと言わないでご馳走してあげなさいよ」
彼女のこの言葉が私にはとても理不尽に聞こえた。男たるもの女性にデートの費用を払わせようなんて最低の根性だ。まして約束の時間に平気で遅れるとは信じ難い行為。こっちだって忙しい時間を遣り繰りして来ているのだ。私の時間やお金を無駄にしないで欲しい。とまあ基本的にはこういう姿勢で72年間を生きて来た。
しかし、待てよと思ったのは、ついこの間のこと。いや、よく考えたら半年くらい前の話だ。ミエさんという女性に出会ってからだ。
ところで、先に読者の皆様にお断りしておかなければならないことがある。この連載に登場するシニア女性は全員が本名ではない。年齢も2、3歳くらい違っているし職業も変えてある。
つまり身元が特定出来ないように書いている。しかし、それ以外はすべて実際に起きた真実だ。創作は一切加えていない。登場人物のプライバシーを守るための操作をさせてもらっているだけだ。
さて、ミエさんについてである。友人の久枝さんからぜひ会ってくれと頼まれた。久枝さんは76歳でミエさんは82歳。2人とも、現在は独身だ。ぽっちゃりした顔立ちで、やや太り気味のミエさんは、穏やかな雰囲気を全体にまとっている。一方、久枝さんは私とは長い付き合いで気心が知れている。下町で生まれて育ったので気風がいい。今でも、お祭りがあったら御神輿を担ぎそうなタイプだ。喧嘩をすることもあるが、私も彼女も根に持たないので、すぐに仲直りする。
ミエさんが自分の生まれ故郷である川越の話をしていたら「ほら木村さんのこと工藤さんに話してみたらどう」とやや強い調子で久枝さんが促した。
ミエさんが「ああ、そうそう、そうよね」と慌ててうなずく。
それが恋愛についてであることは、事前に久枝さんから聞いて知っていた。友人が男の人との関係で悩んでいるので相談に乗って欲しいと頼まれていたのだ。しかし、一見するとミエさんは色恋沙汰とは無縁に見える。年齢相応の落ち着きがあり、服装もきわめて地味なベージュのワンピースを着ている。町を歩いていていつも思うのだが、50過ぎの女性は圧倒的にパンツルックが多い。スカートは少数派と言える。私見だが、スカート姿の人はややフェミニンな人が多い感じだ。