「もう私の気持ちは決まっているんですけど、この人が反対するもんだから」とミエさんが久枝さんを指差す。ああ、結婚するつもりなのかなと私は思った。高齢者の結婚に関しての相談は何度もされたことがある。たいがいは財産の問題か、それに付随して子供たちが口を出すといったトラブルが多い。
でも、話を聞いているうちに、そうではないとすぐに気づいた。
簡単に言うと彼女は恋におちいったのである。2年前に相手の男性とは趣味のサークルで出逢った。そのサークルで月に2回ほど老人たちが集まっている。それ以上詳しくは書けないが、とにかく音楽好きなご隠居さんたちの集いといったところらしい。メンバーは男性が9人に女性が15人くらいいる。その中で、群を抜いてハンサムで恰好いいのが木村さんだと、ミエさんは断言する。
長身に白髪で、常にジャケットを着ている。もう定年退職した男の人はカジュアルな装いが多いが、木村さんはそういう「だらしのない恰好はしていない」のだそうだ。年齢はミエさんと同じ82歳。確かに80歳を過ぎた男の人で服装を気にかける人は少ないだろう。私の夫は80歳だが、黙っていれば一年中でも同じスエットの上下を着ている。どうもあれこれ選んで着るのが面倒くさいらしい。
しかし、木村さんはスコットタイを首に巻いたり、ポケットから絹のチーフをのぞかせたり、身なりに気を配っている。だからサークルの女性たちは全員が木村さんの一挙手一投足に目を凝らしている。女性たちといっても一番若い人でも77歳で、最年長は89歳なのだが、彼女たちの間では彼はアイドルだ。
「でもね、あの人は私に夢中なんですよ」と言うミエさんの声のトーンが高くなった。それはそうだろう。数多(あまた)ひかえる女性たちには目もくれず、自分に恋している男性がいたら私だって得意な気分になる。
(後編に続く)
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。『快楽(けらく)』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など著書多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2022年5月号掲載。
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