どうやら久枝さんは怒っている。なぜかというと、木村さんとデートをすると、必ず彼はお寿司とかステーキとか高いものを食べたがる。そして絶対に自分は払わない。いつもミエさんがご馳走するのだ。しかも、久枝さんによると、ミエさんは年金で細々と暮らしている。子供もいない。年金は月に15万円くらいだそうだ。
それなのに木村さんと会いたいばっかりに、月に5万円ほどは使ってしまう。クリスマスやお誕生日など特別な日には一日で2、3万円かかることもあるらしい。当然、年金だけでは足りなくなる。だから今まで貯めてあった2000万円の定期を解約しようかとミエさんに相談された。それだけはやめた方がいいというのが、久枝さんの意見だった。
「ねえ、工藤さん、そうでしょ? 何でもかんでも、この人に払わせるのってどうかと思うし、この先認知症になるかもしれないんだから、定期だけは取っておきなさいよって言ってるのに、この人は聞かないんだもの」
久枝さんは親身になって心配している。ミエさんも不安は感じているらしい。木村さんの家に彼女は行ったことがない。わかっているのは彼が独身ということだけ。
正直に言うと、私は木村さんに腹が立っていた。なんだってミエさんに食事をたかったりするのか。なんとケチな男だろう。可哀想にミエさんは、なけなしの最後の財産である2000万円を取り崩そうとしている。
「私はちょっと木村さんって変だと思う。普通はそんなに女性にばかりお金を使わせないものでしょ。お考えになった方がいいですよ。もし別れたくないのなら、一度お二人で話し合って、これからはせめて割り勘にしないかとご提案なさったらどうですか? 人生はまだこの先長いのだし、病気になった時のことだって考えておかなければ」というのが、私のアドバイスだった。「女に頼っているような男は、私だったら即刻別れますよ」と言いたかったけど、さすがに失礼だから遠慮した。
するとミエさんが私の顔を正面から見据えて、キリリとした声で言い放った。
「そんなの無理です。最後のお金がなくなるまで、あの人とは別れません。だって、あの人は指一本で私をいかせてくれるんですよ。お金が何だって言うんですか」
怒ったミエさんは突然、椅子から立って帰ってしまったのである。私も久枝さんも、ただ呆然としていた。久枝さんは「あんな馬鹿な人とは思わなかった」と憤慨していたが、私はふと森 瑤子さんの大きな瞳を思い出した。「いいじゃない、ご馳走してあげたら」という彼女の声が聞こえたような気がしたのだ。
何でもかんでも理詰めでケチなことばかり言っていたから、私は男にもてなかったんじゃないか。でも男女の仲ってそんなに単純には割り切れないと森さんは知っていたのか。私は久枝さんに聞こえないように小さく深いため息をついたのだった。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。『快楽(けらく)』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など著書多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2022年5月号掲載。
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