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【スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ】名医がいればその逆も……

2022.05.19

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イラスト/コバヤシヨシノリ

その日の晩も私は用を足すために、ヘッポコの病院に寄った。申し訳ないのだが、何のメリットもない彼の病院に立ち寄る理由はもはやそれしかなかった。

何やら手術室が騒々しい。いつものように無音で移動して中を覗くと、汚い男とヘッポコが口角を泡だらけにして唾を飛ばしながら言い争っていた。男はヘッポコの友人で、どうでもいいような政治についての激論を交わしていたのだった。


しかも部屋の空気は酒臭かった。最悪なことに彼らの中央には手術台があり、麻酔がかかったままの猫が横たわっていた、眼を見開いたままピクリとも動かず、呼吸をしていない。

「ヘッポコ! その猫死んでるぞ!」と叫ぶと、彼の顔から血の気が引いた。

この阿呆はおしゃべりに夢中になって、たかが去勢手術で猫を死なせたのだ。許せないのは彼の質問だった。

「野村先生はこういう場合、飼い主とドンパチやるのか、謝るのかどっちです?」

それを聞いた私は心底呆れかえって、開いた口がふさがらなかった。彼には他人に羨ましがられる要素は何もない。人間はこういった“自分より下の存在”に安堵感を覚えるから彼のような人は“良い人”と言われることが多いが、実際はダメな人の場合がほとんどだ。

彼はそれを自覚して、自分で自分を軽蔑することに慣れてしまい、常識や良心をなくしていた。しかも動物なんか全く好きではないから、澄んだ瞳に導かれることもなく行き先も見失っていた。

本当のことを言うと、世間一般の獣医には多かれ少なかれ、似たような部分があると思う。私には理解不能なことだらけだが、それらを全部集めたようなヘッポコの未来に“幸なかれ!”とここに願う。私は彼に言った。

「俺はもう二度とここには来ないよ」

ヘッポコは「最後に一緒に写真を撮ってください」と言った。私が渋々首を縦に振ると、彼は嬉々としながらカメラのセルフタイマーを作動させて私の横に並んだ。シャッターが切れるその刹那、こともあろうにヘッポコは私の肩に肘を乗せ、反対の手でピースをしたのである。それはまるで“猛虎打ち取ったり!”の記念写真のようだった。

「待合室に飾って客寄せにします」

「いいかげんにしろ!」

最後の最後に、とうとう私の鉄拳が宙を切った。

野村潤一郎(のむら・じゅんいちろう)

野村獣医科Vセンター院長。東京・中野にある病院を初めて訪れた患者は、モダンな空間と埃一つ落ちていない病院の清潔さにまず驚く。個人病院とは思えないハイテク医療機器も、365日無休の診療もすべては動物たちのため。あらゆる命あるものを愛で、手術の腕も冴え渡る院長を頼って、患者は全国から訪れる。
『家庭画報』2022年6月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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